生物学史研究会「近代における医療・福祉・障害者――日本・イギリスを事例として」(2012年3月24日 於:東京大学駒場キャンパス)

本研究会の抄録が『生物学史研究』87号(2012年9月発行)に「<小特集>近代における医療・福祉・障害者(2012年3月生物学史研究会報告)」として所収されました。そちらもあわせてご覧頂けると幸いです。詳細は下記URLまで。(2012/11/12追記)
http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~ft12153/hisbio/index_j.htm

 土曜日に行われた生物学史研究会について、今回のコーディネーターとして簡単に報告を記したいと思います。私の研究関心が障害(者)をめぐる医療の歴史ということもあり、今回はそれに関連させ、建築史の立場から京都盲唖院を研究している木下知威さん、および英国の精神医療史が専門の高林陽展さんに発表を依頼させていただきました。

 なお。プログラムなど詳細については下記リンク(Researchmap)をご覧下さい。
学術・研究イベント - researchmap

発表

木下知威「盲唖のプリズム――京都盲唖院の方法」

訂正:木下さんより、記事中の間違いについて指摘いただきました。ご迷惑をおかけいたしましたことを、お詫び申し上げます。(2012/3/26)

 木下さんの発表は、日本初の盲唖学校である京都盲唖院に着目し、その設立と発展過程について歴史的に検討したものでした。京都盲唖院関連文書(京盲文書)を主たる史料として、施設の内的な発展を描きつつも、新聞資料などを適宜参照することで、京都盲唖院が社会でどのように捉えられていたかについての再構成も試みられました。

 京都盲唖院は明治11年に設立されましたが、木下さんはまず、「なぜ初の公立盲唖院が京都に建てられたのか」という問題設定を行います。そして、この問題を解決するにあたって、木下さんは京都という都市のもつ3つの構造的特徴から説明するというアプローチを採用します。第一に京都の殖産興業化です。京都から天皇がいなくなり、そのシンボルを失った京都は新たな形でアイデンティティを創造する必要がありました。それが、殖産興業化であり、近代的な都市としての京都という自画像の形成であったのです。第二に京都における番組と呼ばれる地域ネットワークの存在です。このネットワークが整備されていたおかげで、盲唖院への生徒募集にあたって、広い地域から生徒を集めることが可能となりました。第三に江戸時代以来の教育の充実です。京都盲唖院の初代院長である古川太四郎は、盲唖院設立以前に番組小学校において既に盲教育(正しくは、「盲唖教育」(2012/3/26 訂正))を経験していましたが、このことは京都では早い時期から既に盲教育が行われていたことを示すものでした。

 次に、木下さんは京都盲唖院の発展に関して、いくつかの画期となる出来事を取り上げながら、それぞれの時期における特徴の抽出を試みられました。「転地」期の明治12年には、明治天皇による盲唖院への行幸(正しくは、「京都への行幸の際、盲唖院が小御所で授業を行われ、」(2012/3/26 訂正))下賜金1000円が贈られました。これをきっかけとして、「展開」期の明治14-19年には、京都以外からの入学者が増加していくことになります。なお、この時期の出来事として興味深いのは、明治17年のロンドン博覧会へ生徒の作品を出展したことです。木下さんはこの出来事について、「近代国家」としての日本をアピールするために行われたのではないかという仮説を提示しました。下賜金を贈られた盲唖院でありましたが、その後の経営は順風満帆には進みませんでした。明治14年に府知事が交代したことに伴い、次第に盲唖院への補助金が締め付けられ、「斜陽」期へと入っていきます。そのため盲唖院は寄付を募るべく、チャリティコンサートを行いました。さらに、明治26年には「京都盲唖院慈善会」を創設し、盲唖院新設のための資金集めに奔走することになります。その結果、「再起」期の明治31年には教場の新築に成功したのでした。その後、明治30年代後半からは盲唖分離教育の必要性が叫ばれ、大正3年には盲と唖が隣り合った別の建物に分離され、京都盲唖院は終焉を迎えたのでした。

高林陽展「20世紀イギリス精神医療の総合的理解に向けて」

 高林さんの発表は、20世紀における英国精神医療史の総合的な見取り図を示そうという非常に野心的なものでした。かつての精神医療の歴史は、ミシェル・フーコーやアンドリュー・スカルたちのように社会的統制的な観点に立ち、人が理性/非理性に弁別されていく過程として記述されてきました。それに対し、1980年以降、ロイ・ポーターらは精神病者たちの「施設化」を実証的に再検討し、19世紀中頃から進展する「施設化」の中に多様なアクターの存在をみてとったのでした。しかしながら、これまでの精神医療をめぐる歴史は18-19世紀の歴史が中心に議論されてきたことに対し、高林さんは20世紀の精神医療に対する注目を促します。というのも、精神疾患に対する悲観主義の伸張、優生思想の誕生、そして脱施設化が進んでいくなど、この時代に精神医療のまた別のアスペクトが形成されていったからです。

 このような課題に取り組むにあたって、高林さんは3つの分析視角を導入します。第一に、マクロな視点からジョン・ピクストンによって提示された国家医療論が説明されます。すなわち、ある時代において支配的な医療の特徴を、「生産重視医療」、「コミュニティ重視医療」、「市場原理重視医療」の3つに分類し、医療を国家やコミュニティ、市場との関係性において捉えようとするものです。第二に、医療専門家というミクロな集団に着目し、アンドリュー・アボットによる専門職化論について議論します。それまでの社会学者が専門職の社会的機能に注目していたのに対し、アボットは専門職集団を、知識の「抽象化」によって自らのプロフェッションを正当化し、「支配的業域」の拡大をねらう集団として規定するのでした。最後に、サンダー・ギルマンによる「病の表象論」に注目しています。フーコーが狂人の「不可視化」に対して注目したように、ギルマンもまた病あるいは描写がいかに描かれるかに着目することで、病者に対する人々の意識の抽出を試みたのでした。

 以上3つの視点のケーススタディとして、高林さんは20世紀初頭における英国精神医療の歴史に注目します。例えば、1890年狂気法によって、自らの「支配的業域」を狭められた精神科医たちは、自らの専門知識を医療の文脈のみに位置づけるだけでなく、当時の救貧法や公衆衛生における言説との接続をはかったことが示されます。このことは、ピクストンの見方にならえば、「生産重視医療」の発露と捉えることができます。しかし、アボットの枠組みを援用すると、知識を「抽象化」することで自らのプロフェッションを正当化し、「支配的業域」の拡大をはかろうとする精神科医として理解することが出来るようになるのでした。そして、このような二面性を指摘することが、高林さんの研究発表における一つのねらいであったと言えるでしょう。

ディスカッション

コメントとリプライ

 ディスカッションでは、最初に発表者が互いの研究に対してコメント・リプライを行っていただきました。

 まず、高林さんから木下さんに対し、2つの質問がなされました。
 第一に、京都盲唖院ひいては京都の盲唖者たちと当時の公衆衛生との関連性についてです。木下さんの発表では学校行政の視点に力点がありましたが、高林さんは内務省衛生局がこの時代にもっていた権力を引き合いに出しながら、障害児に対して公衆衛生的な眼差しが働いていなかったのか、という質問をされました。それに対する木下さんの回答は、明治28年の「失官原因調査」という障害児調査(家族や喫煙の有無、風土といった原因と障害の関係を調査した)にみられるように、当時は既に公衆衛生の眼差しが障害児にある程度ふりかかっていたということでした。(そして、この調査(正しくは、「東京でも行われた同様の調査」(2012/3/26 訂正))は新聞記者で小説家でもある村井弦斎による小説『食道楽』(1903)にも引用されるほどでした。)
 第二に、京都盲唖院がなぜ京都の中心地に設立されたのか、ということについてです。高林さん自身の発表ではフーコーによる「狂気の表象」について紹介されましたが、社会において精神障害者たちが「不可視化」されていた西欧近代の歴史を顧みた際、盲唖者たちが京都で多くの人の目にさらされ、ある意味では「可視化」されていたことは興味深い事例であるからです。この点に対する木下さんの回答は、障害者たちを教育する姿を世間にみせることで、世間に「啓蒙」について知らしめる効果をねらっていたのではないかということでした。このように、近代の盲唖教育をみていく上では、「啓蒙」という言葉は非常に重要なキーワードとなりそうです。

 一方、木下さんから高林さんに対しては、1点質問が投げかけられました。
 それは、両者の研究発表に共通して出てきた「慈善/チャリティ」という概念について、高林さんの研究ではどのように位置づけられ、その言葉の意味はどのようなものかというものでした。それに対する高林さんの回答は、木下さんが「慈善/チャリティ」のそれぞれの語幹の違いを意識しているのに対し、高林さんの方はその差異についてはそれほど意識していないとのことでした。なお、イギリスにおける「チャリティ」概念については、金澤周作さんの著書(『チャリティとイギリス近代』京都大学学術出版会、2008年)を参照にしてほしいとのことでした。

フロアからの質問

 フロアからの質問も興味深いものばかりでした。
 例えば、木下さんの発表における、盲唖者たちの「啓蒙」の具体的な諸相については、府の職員が家を一軒一軒まわり、手に職をつけることの意義を説いて回った事例などが紹介されました。さらに、京都盲唖院の建築と教育の関係性について、新築された院では、盲唖者に最適化された教室の配置が可能となったことなどが事例としてあげられました。

コメント

 今回、専門が異なりながらも類似した研究対象について考察している二人の研究者が同席することによって、それぞれの研究に対する新たなアプローチの可能性が浮かび上がってきたのではないでしょうか。例えば、高林さんから木下さんへのコメントにもあったように、ある施設の出来事を医学史的な観点に位置づけることで、近代日本における医療と福祉の関係性という分析視角を得ることが出来たのではないかと思います。

 このように、今後も生物学史研究会では科学史・医学史系の研究者とその他分野の研究者の交流を行っていきたいと考えています。ということで、発表者を随時募集していますので、発表してみたいという方はお気軽に藤本まで連絡をお寄せ下さい。修士課程の学生の方も、留学生の方も、社会人の方も、非会員の方もウェルカムです!

 なお、お二人による研究会報告は学会誌『生物学史研究』に掲載される予定ですので、そちらもお楽しみに。

参考文献

 最後に、簡単にお二人の発表における参考文献をあげておきます。また、研究会の発表者・参加者によるブログ記事のリンクも記載してきます。

木下さん参考文献

・中野善達・加藤康昭『わが国特殊教育の成立』東峰書房、1968年。

わが国特殊教育の成立

わが国特殊教育の成立

京都府教育委員会京都府盲聾教育百年史』京都府教育委員会、1978年。

高林さん参考文献

・Andrew Abbott, The System of Professions, Chicago: The University of Chicago Press, 1988.

The System of Professions: An Essay on the Division of Expert Labor (Institutions)

The System of Professions: An Essay on the Division of Expert Labor (Institutions)

・サンダー・L・ギルマン『病気と表象――狂気からエイズに至る病のイメージ』ありな書房、1996年。
病気と表象―狂気からエイズに至る病のイメージ

病気と表象―狂気からエイズに至る病のイメージ

研究会報告・参加記

・発表者・木下知威さんによる報告:TMTKKNST「生物学史研究会にて」2012年3月24日更新。
http://www.tmtkknst.com/journals/bn2012_03.html#20120324
・参加者・坂本邦暢さんによる報告:オシテオサレテ「聾唖と正常・異常の境界線」2012年3月24日更新。
http://d.hatena.ne.jp/nikubeta/20120324