医学の様式、科学・技術の様式:Jewson ”The disappearance of the sick-man from medical cosmology” (1976) & Pickstone ”Commentary” (2009)

 医学史における重要論考の一つである歴史社会学者ジューソンの論文を読みました。医学史に社会学的な視点を導入することで、17〜18世紀における医学的世界観を見事に記述しています。それぞれの時代における、医学のパトロン、医療者・患者の位置づけ、医学の方法、病気観などをモデル化し、非常にコンパクトに医学史をまとめたものとなっています。なお、科学史・医学史家ジョン・ピクストンによる本論文に対するコメントも要約してみました。

N.D. Jewson, "The disappearance of the sick-man from medical cosmology, 1770-1870," Sociology, 10(2), 1976: 225-244.
Reprinted in International Journal of Epidemiology, 38(3), 2009: 622-633.

John V Pickstone, "Commentary: From history of medicine to a general history of ‘working knowledges’," International Journal of Epidemiology, 38(3), 2009: 646-649.

 
 医学史におけるパリ臨床学派のインパクトは、アッカークネヒトやフーコーらによって多く語られてきた。「病院医学」と言い表されることがあるこの種の医学は、19世紀の医学を代表するものであった。本論文ではそのパリ臨床学派を結節点として、その前の「ベッドサイド医学」、その後の「実験室医学」の展開を社会学的に考察したものである。そうすることで、19世紀における病院医学の誕生を機に、「病人」が消失していく過程が描かれている。

 まず、17〜18世紀に支配的であった三つの医学的世界観について説明される。すなわち、ベッドサイド医学、病院医学、実験室医学である。ベッドサイド医学とは、患者の声を聞き、病気の予後を診断する医学である。このタイプの医学は多様な形態をもっているが、例えば、18世紀後半のエディンバラ大学にみられるように、病気は患者の全体的な症状から診断されるていた。つまり、患者の主観的な訴えや身体外部にみえる徴候を手かがりとし、現象学的な疾病分類あるいは推論的病理学と呼びうる方法が取られていたのであった。しかし、19世紀になると病院医学の登場により、医学の世界観は劇的な変化を遂げる。つまり、構造的な疾病分類、局所病理学、統計学的な分析を駆使した大規模な臨床が、フランスの病院を中心として行われたのであった。そして、19世紀中頃には、ドイツの大学において生理学や組織学が発展し、病気が細胞の問題であるとされるようになった。このとき、生物学では生気論という立場は追い払われ、分子への着目が進んでいったのである。

 このような医学の展開の中で、医学の中心がヒトからモノへと移行していく。ベッドサイド医学の時代では、ヒトを中心とした医療がなされていた。治療の有効性を判断するのは、医師ではなく病人であったし、医師たちは患者というパトロンの期待に応えるように医療を行っていたのである。
 しかし、病院医学の時代では、次第にその中心がモノへと移行してくる。病者は自らが医療者に従属的な存在であることを自覚し、臨床の場面ではじっと耐えることが求められた。そして、医師は病気を症例の中に見いだし、その原因が病変にあると考えるようになったのである。
 そして、実験室医学の時代の医学者たちは、病変などという医学的問題にとらわれず、細胞のメカニズムを探求することを目指すようになる。つまり、自らを知の探求者、科学者であるとみなすのだ。もちろん、病変に関する研究は継続されるが、それらは正常あるいは異常な生理学的プロセスとして捉えられるようになる。このように、病人はヒトから症例、そして細胞へと移り変わっていき、「医学的世界観から病<人>が消失」したのであった。


 なお、本論文は2009年にInternational Journal of Epidemiology誌へ再録され、4人の論者によって今日的な意義をめぐりコメントが付されている。ここで特に注目したいのが、ピクストン(John V. Pickstone)によるコメントである。ピクストンは2000年に『知の様式(Ways of Knowing)』を著し、知識やその生産の様式について、科学史・技術史・医学史を総合的に捉えた通史を完成させている。そして、同書の議論と同様に、本論文へのコメントとして、医学のいくつかのタイプが「連続」していると捉えるのではなく、種々のタイプの「共存」を見て取ろうとするのであった。
 具体的な論点として、第一に、ベッドサイド医学ではなく「伝記的医学(Biographical Medicine)」と呼ぶ方が適切ではないかと述べている。なぜなら、他のタイプの医学でもベッドサイドで行われることがあったし、また、「ベッドサイド医学」が書簡を通じてなされることもあったからである。また、ベッドサイドという「空間」に着目するのではなく、そこでの「ねらい」に注目した方が、科学・技術・医学の総合的記述というピクストンの目標とも適うからである。
 第二に、病院医学と実験室医学の関係性についてである。前掲書におけるピクストンの議論では、科学・技術・医学を総合的に捉える三つの「知の様式」として、自然誌(Natural History)、分析(Analysis)、実験(Experiment)が提示されているが、ジューソン論文にある病院医学は、分析という知の様式の一側面と捉えることができるのではないか、ということである。そうすることで、実験室医学における細胞学などの科学的方法もまた、分析の一側面と捉えることが出来るのである。そして、実験室医学の時代にはまた、ベルナールのような実験という知の様式をもった医学者があらわれ、分析と実験が取って代わったのではなく、「共存」していたことを指摘するのであった。

関連文献・参考リンク

・ピクストンの "Ways of Knowing" (1993) という論文が、柴田和宏さんによってまとめられています。
John V. Pickstone, “Ways of Knowing: Towards a Historical Sociology of Science, Technology and Medicine.” - 冥王星日記

臨床医学の誕生

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パリ病院―1794~1848 (1978年)

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Ways of Knowing

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