ルネサンスと図像のもつ機能:Kusukawa "Accidents and Arguments" (2012)

 現在行っている研究会用のレジュメとして、クスカワ『自然の書物を描く』の「第5章 偶有性と議論」をまとめました。16世紀の植物学者フックスが古代の植物に関する知識の復興を試みる際に、図像がいかに重要な位置を占めていたかについて説明されています。
 なお、この読書会の詳細については、下記リンクをご確認ください。ドタ参も大歓迎です。

6/21(木):Kusukawa, Picturing the Book of Nature #2 - 駒場科学史研究会

Sachiko Kusukawa, "Accidents and Arguments: Fuchs's De Historia Stirpium," Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany, Chicago: Chicago University Press, 2012, pp. 100-123.

Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany

Picturing the Book of Nature: Image, Text, and Argument in Sixteenth-Century Human Anatomy and Medical Botany

 ルネサンス期には古代医学の再興を試みる者があらわれるが、その際、古代の植物がルネサンス期ではどの植物であるかを同定することは一つの重要な課題であった。例えば、レオニチェノ(1428-1524)は注意深く文献学的な検討をおこなったり、ギリシャ語の写本を丹念に調べることによって同定することを試みた。本論で注目されるフックス(1501-1566)もまた植物の同定を試みたが、その際、文献学的な方法はとらず、むしろ、形態学的な観点からそれをおこなった。一見、このことはフックスがレオニチェーノを表面的に追随しているだけのように思える。しかし、フックスが形態学的な方法を採用した背景には、彼の知識に対する思想が大きく関係していたのである。
 その思想とは、「偶有性」に積極的な評価を与えるというものである。アリストテレスの「範疇論」などにもあるように、古来、知識は「類(genus)」(例:動物)と「差異(difference)」(例:合理的である)、あるいは、「固有性(property)」(例:笑うことができる)から構成されると考えられていた。その際、知識は「偶有性(accident)」(例:白い)から構成されることはないとされた。しかし、フックスはこのような見方とは異なり、植物の名前に関する知識は本質的な差異から生み出されるのではなく、「偶有性」から生み出されると考えたのであった。
 「偶有性」に対する評価をめぐって、フックスと同時代のフランス人医師・モントーは対立した。モントーにとって、色は植物の定義においては本質的ではなかった。つまり、植物の外見と本質との間には、前者から後者を導き出せるような関係にはないと考えていた。一方、フックスにとって、植物の形や色は、石の固さや火の熱さと同じように、不可分の偶有性であるとされた。アグリコラはこのような性質を「生来の偶有性」と呼んだが、フックスにとっても、この偶有性は植物に内在的で生来のものであると考えられた。それゆえ、植物の同定の際には、その形態を描写することが重要であるとフックスは考えたのである。

 フックスの『植物誌』(1542)は、以上のような彼の思想を反映したものであると言える。本書第一章でもみたように、描写することを重視したフックスは、『植物誌』において職人が大きな貢献をしたと認めている。さらにフックスは、本に植物の図像を記載することの機能について、単に言葉だけを並べたものよりも、植物の記憶のためには図像の方が効果的である、と説明している。なお、フックスが図像を用いる際にはいくつかの特徴があった。例えば、一つの種類の植物に対し、一つの図版の使用していた。また、「完全な(absolute)」植物の図像として、特定の植物の異なる発育段階を一つの植物として描いたり、同じ植物の色の違うバリエーションを、一つの植物として描いたりしていた。
 しかし、フックスは図像の持つ機能として、「記憶を助ける」ということ以上に強力な機能を認めている。つまり、古代において無視された、植物の見えざる特徴を思い起こさせる、という機能である。ここで事例として検討されるのは、『植物誌』におけるセイヨウフキについてである。フックスはかつてディオスコリデスが記したセイヨウフキの描写と、フックスの提示する図像とが一致することを確認した後、ディオスコリデスが「無視した」セイヨウフキの特徴について説明をおこなっている。それは、味や臭いといった見えない特徴である。つまりフックスは、読者に植物に対する事前の知識と、その見えざる特徴を呼び起こす能力があることを前提とし、図像を提示することにより、植物の見えざる特徴を思い起こさせようとしているのである。そして、そのとき、文字ではなく図像の方が、「無視された」特徴をより豊かに表現しうるとフックスは考えていたのである。
 以上のように、古代の植物に関する知識を復活させるというフックスのプロジェクトにおいて、図像は重要な役割を担っていたのである。

関連文献

Transmitting Knowledge: Words, Images, And Instruments in Early Modern Europe (Oxford-Warburg Studies)

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本書所収の下記文献。Sachiko Kusukawa, "The uses of pictures in the formation of learned knowledge: the cases of Leonhard Fuchs and Andreas Vesalius" (pp. 73–96)


描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界

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とくに、本書所収の「おわりに――科学技術の活動における図像の機能」。この章は、科学史における図像の役割を扱った研究のサーベイとなっており、このトピックの研究動向を簡潔に知ることができるので非常に有用です。なお、『自然の書物を描く』の元になっている上記論文への言及もあります(240–242頁)。