女性高等教育の是非と医学言説の交錯:横山美和「19世紀後半アメリカにおける「月経」をめぐる論争の展開」(2012)

 ジェンダーとの関連で科学史・医学史を論じた論文を読みました。なお、本論文の著者である横山さんには、近々、生物学史研究会で発表していただく予定です。こちらについては、詳細が決まり次第このブログでもご案内します。
開催が決定しました!詳細はコチラ→ http://goo.gl/BZSI6

横山美和「19世紀後半アメリカにおける「月経」をめぐる論争の展開――M. P. ジャコービーの『月経中の女性の安静にかんする問題』を中心に」『人間文化創成科学論叢』14、2012年、341-349頁。
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/51668
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 19世紀半ばのアメリカでは、高等教育・医学教育を享受することができる女性があらわれはじめていた。例えば、1837年にオバーリン大学が男女共学化をおこなったのを皮切りに、1849年にはエリザベス・ブラックウェルが女性ではじめて医学の学位を取得している。しかし、女性の高等教育への進出は、必ずしも単線的に進んでいったわけではなく、19世紀後半には女子高等教育反対派によってかなりの程度阻害された。そして、このときに反対派が論拠として用いたのが、女性の「月経」が女性の活動を制約する、という医学言説であった。本論文は、サンドラ・ハーディングが立場性から科学を捉えようとしたことに着想を得ながら、19世紀後半の「月経」の科学的・医学的言説を、ジェンダーという観点から考察したものである。

 まずは、女性の高等教育に反対する立場が取り上げた「月経」の医学的言説について確認される。ハーバード大学メディカルスクールの元教授であったエドワード・H・クラーク(1820-1877)は、これまで排卵の付帯的な現象に過ぎないと考えられていた月経に、ある役割を見いだした。それが、血液による生殖器の新陳代謝という機能である。このとき、新陳代謝が十全になされるためには、月経時の女性は安静にし、エネルギーを蓄える必要がある。そして、このような月経に対する生理学的な理解に基づき、クラークは男性と同様に女性が教育を受けるのは難しいと考え、女性の高等教育に反対したのであった。
 そんな中、パリ医学校を卒業した女性医師メアリ・P・ジャコービー(1842-1906)は、「月経」を女性の活動を制約するものとして捉えるような医学言説を批判する。すなわち、これまでの男性研究者たちは、男性の性徴の発達が成長であると捉える一方、女性の性徴の発達が女性の身体に「制約を課す」もの、エネルギーを奪う現象であるという見方をとっていた。しかしジャコービーは、実験生理学の立場から尿素量、血圧、心拍数などを計測することで、月経は体内の栄養が個体維持分を超えて余剰な状態であるという新たな見方を提出する。そして、「付加的栄養説」と呼ばれるこの仮説からは、女性の身体は栄養が過剰ではあるが正常であるには変わりなく、月経時の安静なども必要ではないという結論が導かれる。そのように捉えることで、ジャコービーは月経を女性の活動を制約するものであるという見方を批判し、女性の高等教育進出反対派の拠り所とされた月経理解を批判したのであった。
 しかし、ジャコービーの月経に関する医学的言説は、ボストン医学賞を獲得するなど一定の評価を得たが、学界内では必ずしも正当に受容されたわけではなかった。例えば、女性の高等教育には賛成していた婦人科医、J・チャドウィックはジャコービーのアンケート調査の内容を恣意的に解釈し、彼女の説を批判した。また、婦人科学会の医師たちはジャコービーの説を受け入れはしたが、彼女の研究は男性研究者の類似の研究に対して不当により低く位置づけられた。

 このように、月経をめぐる医学言説は、それがつくられる過程においても、受け入れられる過程においても、男性の立場性に拘束されていたのであった。

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