家の存続と捨て子:沢山美果子「「乳」からみた近世大坂の捨て子の養育」(2011)

 8/4に開催される生物学史研究会「いのちの歴史学に向けて――胎児・赤子・捨て子のいのちの近世と現代」の準備として、発表者の沢山美果子さんの論文を読みました。なお、研究会の詳細については下記リンクをご参照ください。
http://researchmap.jp/evm22nbue-66/#_66

沢山美果子「「乳」からみた近世大坂の捨て子の養育」『文化共生学研究』10号、2011年、157-181頁。
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/journal/44458
上記URLから無料閲覧・DL可能

 近世日本史研究では、17世紀後半から18世紀にかけて「家」という意識が成立したことが明らかになっているが、大藤修はそれにより子どもが家を連ねていく存在として意識されるようになったと指摘している。また、倉地克直は「家」存続の希求が18世紀に高まったとしており、この時期を「いのち」を大切にしようという工夫が個人レベルだけでなく、町や藩レベルでもおこなわれるようになった時代であるとしている。
 本論文が注目する「捨て子養育」は、18世紀という時代に家の存続・維持という価値観が浸透していったことをよく示す事例であるといえる。例えば菅原憲二は、都市下層民が自らの家を継続しようと願っていたことが、子を「捨てる/貰う」という捨て子養育として現れたと捉えている。本論文は、住友家文書(1738-1853年)、小林家文書(1782-1863年)を手がかりとして、近世大坂における捨て子養育の実態を明らかにすることを試みている。

 はじめに、捨て子が発見されてから貰い手が見つかるまでのプロセスについて説明される。町内で捨て子が見つかったとき、捨て子の発見者は町年寄と連名で町奉行所に届け出を出さなくてはならなかった。そして、町が貰い手を探し、身元照会やその適正を検討した上で、町奉行の承認のもと捨て子が貰い手へと引き渡された。その際、養育料や捨て子に着せる着物料が町から貰い人に渡されていた。つまり、養子先を探し出すことは町の責任とされたのであった。なお、貰い手が見つかるまで捨て子を預かる人物、および、町が貰い手を探す際に介在する口入屋に対して、貰い手は養育料の一部を支払う必要があった。
 では、なぜ子が捨てられなければならなかったのだろうか。その理由として、18世紀に意識されるようになる家に対する意識が大きく関わっていたといえる。つまり、家を維持・存続させていくために子が捨てられたのである。例えば、1760(宝暦10)年のある手紙には、自分が奉公に出るために二歳になる女の子を捨てるという旨が記されている。このことからは、今一度家名を起こすという、家の維持・存続に関わる思いが捨て子の理由として正当化されていたことが確認できるだろう。
 一方、人々はなぜ捨て子を貰い受けようとしたのであろうか。ここでもやはり、家を維持・存続させようという強い思いがしばしばみてとれる。例えば、1807(文化4)年には、生後すぐに女の赤子を死なせてしまったある百姓の家が、その家の倅と将来結婚させるために、捨て子の女児を引き取りたいと希望している。つまり、子を捨てる理由と同様に、子を貰う理由として、家を相続させたいという願いがあったのである。
 このように、近世社会では家を存続するためにしばしば困難に直面したが、その理由としてこの時代の高い乳児死亡率が挙げられるだろう。つまり、赤子が2歳になるまでにその3割もの命が失われていたという状況では、個人の計画による出産と家の維持はもはやあてにすることができず、捨て子にその役割を求めようとしたのである。
 では、このような捨て子はどこに貰われていったのだろうか。住友史料からは、1760(宝暦10)年頃までは住友本店近隣の島の内で貰われることが大半であったが、その後、次第に大阪近郊の農村などにまで貰われていく事例が多くなっていくことがみてとれる。そして、この近隣から農村部へという変化は、最近の歴史人口学における知見とも重なるところである。というのも、これまでは労働人口を必要とする都市では、農村などから多くの人口の流入があり、高い死亡率・低い出生率をもつ人口構造であるとされていた。しかし、上で見た捨て子の実態からは、近世後期からの都市の人口減少と中小在郷町の人口増加が確認でき、都市と農村との間の人口の移動について新たな側面をうかがい知ることができるのであった。

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