科学史と図像:橋本毅彦「おわりに――科学技術の活動における図像の機能」(2008)

 明日、駒場で楠川幸子先生の特別講演がおこなわれますが、発表とも関連する「科学史における図像」というテーマをサーベイした文献を読みました。なお、講演の詳細は以下をご覧下さい。申込不要。もちろん、無料です。
http://researchmap.jp/ev2n52ksg-66/#_66

橋本毅彦「おわりに――科学技術の活動における図像の機能」『描かれた技術 科学のかたち――サイエンス・イコノロジーの世界』東京大学出版会、2008年、231-262頁。

描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界

描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界

 これまでの科学史研究では数式や理論などを中心に検討されてきたが、当然、科学を構成するのはそれら理論だけでない。昨今、「実践」や「表象」というトピックが注目を浴びるように、科学史における「図像」の役割の探求が必要とされている。一方、技術史研究では、その研究の対象が揚水機や蒸気機関などであることから、当然、その動作を示す図像や設計図が検討の対象となってきた。つまり、技術史では比較的早くから「視覚的思考(visual thinking)」が注目されてきたのである。本論はそのような事態を鑑み、科学史・技術史における図像の役割を論じた先行研究のレビューを行っている。

 本論で最も強調されるのは、図像の担わされた役割の多様性である。これまでの科学史研究でも、図像などに注目した研究はあったが、図像はあくまで科学理論にとっては二次的、副次的なものであるとされてきた。しかし、図像には独自の文法があり、それを備えたものにしかわからない部分もあったのである。例えば18世紀に、三次元の立体的な構成物を二次元の平面にどのように描くかが問題になった際、ある特有の描画法が発達した。このとき、その図像を読むためには独自の文法が前提とされており、ここに画法幾何学という分野が誕生したのであった。
 デカルトの「宇宙のネジ」や「精機の噴水」という図像からもまた、今日の科学的な図像との違いをみてとることができるだろう。機械的自然観をあらわすとされるデカルトの図像は、これまで、学のない職人にもわかるようにするために描かれたとされていた。つまり、あくまでデカルトの議論の簡易なもの、二次的なものとして捉えられていたのである。しかし、最近では図像により積極的な役割が見出されるようになっている。つまり、図像は学者層に向けられて描かれたことが指摘され、デカルトの議論を明確に理解させる重要な手段として図像が理解されるようになっている。
 また、図像はいつも自然に忠実に描かれていたわけではなく、ある科学者の理念を具体化するものでもあった。例えば楠川幸子は、フックスの『植物誌』(1542)に描かれた植物の図像に注目し、彼の理念が図像に現れているとしている。一見、その本に出てくる図像は植物をありのままに、写実的に描いているように思わせる。しかし実際には、同じ種類の植物の様々な発育段階や色が異なる同じ種類の植物が一つの植物の絵として描かれており、現実にはありえないものが描かれていた。このことからわかるのは、図像の担っていた役割は今日のものとは当然異なりうるということであり、そのコンテクストを考慮に入れた上で図像を捉える必要があるということである。
 それでは、図像は現実を正確に描写するものであると考えられるようになるのはいつ頃からだろうか。ダストンとギャリソンによれば、19世紀中頃から、理念的で典型的な型を示す図像ではなく、ありのままを写し取る図像という見方に変わっていったという。例えば、ドイツの医学者グラシャイは1905年に、正常な人体のX線写真ではなく、正常と異常の境界線上にあるようなX線写真の重要性を説いている。そこでは、医療従事者たちが身体の正常/異常を見極めるのに役立つよう、図像が期待されるようになっているのである。
 最後に著者は、図像に関する科学史の今後の研究課題として、アメリカの科学史家パンの議論をひきながら3つ挙げている。つまり、図像を描いた挿絵画家と科学者との関係、映像という新しい視覚メディアと科学、東洋における図像と科学である。(なお、この課題に取り組んだ研究が最近いくつか出てきているので、以下の関連文献欄で文献情報を示したい。)

関連リンク・文献

ルネサンスと図像のもつ機能:Kusukawa "Accidents and Arguments" (2012) - f**t note
解剖学書における図像の役割: Kusukawa "The canon of the human body" (2012) - f**t note


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楠川先生の特別講演は、本書の第三部で注目されているヴェサリウスを中心におこなわれます。なお、本書の第一部では、課題としてあげられている「挿絵画家と科学者との関係」についても言及されています。


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課題としてあげられている「東洋における図像と科学史」に関連して、日本を事例とした研究として有名です。