労働者の病気と公共の安寧:アルレット・ファルジュ「労働現場の病いと医」(2011)〔1977〕

 1980年代に出版された『アナール論文選』が、ここ数年「新版」として出版されています。今回は『アナール論文選 3 医と病い』(1984年)の中から、18世紀フランスの労働者の病気と国家・都市の公共性について論じたものを読みました。
 ちなみに、2010年からは『アナール』誌創刊80周年を記念して、藤原書店から『叢書 アナール 1929-2010――歴史の対象と方法』(全五巻)という選集が発売されています。

アルレット・ファルジュ(福井憲彦訳)「労働現場の病いと医」二宮宏之・樺山紘一福井憲彦(責任編集)『叢書・歴史を拓く――アナール論文選<新版>3 医と病い』藤原書店、2011年、176-203頁。

医と病い 〈新版〉 (叢書『歴史を拓く 「アナール」論文選』 3)

医と病い 〈新版〉 (叢書『歴史を拓く 「アナール」論文選』 3)

Arlette Targe, "Les artisans malades de leur travail," Annales: Économies, Sociétés, Civilisations, 5, 1977, pp. 993-1006.

 18世紀の職人たちの労働環境が、いかに劣悪であったかは比較的知られている。一方、そのような労働環境における病気や傷害について言及した史料はそれほど残っておらず、その実態についてはほとんど知られていない。本稿では、18世紀フランスにおける労働者階級への医療に着目しながら、アンシャンレジーム末期のエリートたちが、労働者階級に身体に注意を払いながら、いかに彼らの政治的な目的を果たそうとしていったかについて検討されている。

 まず最初に、18世紀のエリートたちが労働者と病気・傷害の状況について積極的な関心をもっていたことが確認される。ここで特に注目されるのは、マニュファクテュールの副監査官を務めた、パジョ=デ=シャルムによる四つの覚書である。パリの王立医学教会(Société royale de médecine)の通信員に任命された彼は、医師でないにもかかわらず、銅版印刷労働者、板ガラス製造業者、石灰をふるいにかける労働者たちの日々の劣悪な労働環境と病気について多くを書き残している。彼が労働者を死へと宿命づける要因として、最も注目されているのが「空気」である。当時の「生気論」という医学理論に影響を受けながら、パジョ=デ=シャルムは身体を病気にし、さらにその病気を広める役割をもつ「空気」が出入りしやすいよう、換気の効いた広い場所で働くことを奨励している。しかしパジョ=デ=シャルムは、そういった悪い空気が労働者自身からも発せられているという認識を示している。つまり、労働者の置かれた劣悪な状況に感受性を示しつつも、それが労働者たちの宿命であるとするのであった。
 しかし、このようなエリートたちによる労働と病気への注目は、単なる人道主義的な考えによるのではなく、隠れたイデオロギーによって駆動されていたと著者は指摘する。つまり、そのイデオロギーとは、世の中が秩序ある状態であることを保持するため、都市や町から秩序の混乱を招くものを取り除こうという政治的なねらいである。そして、作業場の火事や労働者の病気は秩序の混乱を招くものとして考えられており、その混乱の発生を防ぐために、工場の近くに水や病院を常置することが主張されたのであった。
 ただし、ここで注意しなくてはならないのが、医学によって労働者の病気を取り除き、彼らを貧困から脱出させることによって、世の中に秩序をもたらそうとしていたわけではないという点である。確かに彼らの貧困は和らげられるべきだとしながらも、むしろ、必要最低限の貧困は維持されなければならないとされた。例えば、このような考えは、1740年に医師エケが、「国家内の貧困とは、ほぼ絵画における陰翳のようなもので〔・・・〕貧者は必要なコントラストを与えるもの」としていることにもみてとれる。エケはさらに、貧者が悲惨に苦しみ過ぎてはいけないとしつつも、町に豊かさがもたらされ、諸技芸が花開くためには、彼らが「条件の厳しさをじっと耐えてゆくのに必要なものを、かれらに与えることが求められてはいますまいか」と続けている。
 このように、アンシャンレジーム末期のエリートによる身体と病に関する言説は、結局のところ、都市内の秩序を維持するため、労働を耐えうるものにしようという意識によって支配されていたのである。つまり、ある種の身体の従順さと規律を労働者たちに植え付けることからはじめて、長い時間をかけて、公共の安寧を構築することが目指されたのであった。

関連文献

叢書『アナール 1929-2010 歴史の対象と方法』 1 〔1929-1945〕 (叢書『アナール 1929-2010 歴史の対象と方法』(全5巻))

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