性と生の操作可能性:Sengoopta "Medical science, technology, and the body"(2010)

 とある授業のアサインメントとして、19世紀の内分泌物に関する医学思想をまとめた文献を読みました。ある医学概念に着目し、それが成立した背景とその論理を追うという非常にオーソドックスな医学思想史の研究です。

Chandak Sengoopta, "Chapter 4 Medical science, technology, and the body," Michael Sappol and Stephen P. Rice, eds., A Cultural History of the Human Body in the Age of Empire, Oxford & New York: Berg, 2010, pp. 107-124.

A Cultural History of the Human Body in the Age of Empire

A Cultural History of the Human Body in the Age of Empire

 古代より医学者は身体の各器官を統合する存在や病気となるメカニズムについて様々な説明を試みてきた。ヒポクラテスやガレノスの時代には、四つの体液とそのバランスによって病気を説明する体液説が医学界で支配的であった。しかし、モルガーニなどによる解剖学的知識の発見に助けられ、1800年頃までには病気は器官の病変と同値であるとみなされるようになる。パリ病院において「臨床医学の誕生」が起きたこの時代、かつての体液説は後退し、固体説という見方が支配的になっていたのである。本論は固体説がいまだ支配的な19世紀において、これまでにあった医学知識・技術が再配置されることで登場した新たな体液説の理論に着目し、そこでの身体と医療の関係について論じている。

 身体の各器官はなぜ機能し、どのように統制されているのか。この問いに対しては、長い間、神経や血液を通じて「共感」が器官の間を移動しているからと説明されてきた。17世紀以降は特に神経に対する医学的な注目が集まり、それがメッセージを運び、身体の機能のモジュールとして働くと考えられるようになった。19世紀半ばには、電気信号が神経を通じて行き来するという見方があらわれ、身体が神経によって統制されているという見方が支配的となった。そこでは、身体の中の神経システムが電話網のアナロジーとしてしばしば表現され、身体は電池のようなものであると医師たちによって喩えられるようになった。19世紀には、身体の機能を神経の観点から説明するという方法は、生殖機能の説明の際にも用いられるようになる。たとえば、生殖機能は卵巣や睾丸が神経を通じて生み出されると考えられたのであった。
 しかし、19世紀半ばに新たな体液説と呼びうる見方があらわれる。すなわち、性腺がある化学物質を生みだし、それが血液中に入り込み、脳にまで達し、ある反応を引き起こすというのである。ここでは、かつて想定されていた神経や血液といった導管を通じて器官が機能するという見方は取られておらず、導管のない腺がもつ機能への注目が新たな体液説として提出されたのである。この説を示すかのように、1889年に当時72歳であったモーリシャス生理学者のブラウン・セカール(1817-1894)が、自らの身体にイヌやブタの精巣から抽出したものを自らに注射し、若返ることができたと報告している。パリで行われたこの報告はきわめてセンセーショナルで、大衆の間で注目の的となった。その後、精巣に限らず脳や卵巣など様々な器官からの抽出物が医療市場に持ち込まれ、「器官治療(オーガンセラピー)」と呼ばれる医療技術が登場したのであった。現在では、セカールらによる研究は多くの点で間違っていることが明らかになっているが、特定の器官が生み出す化学的分泌物の存在を指摘したことは正しかったし、そういった関心が20世紀前半に内分泌学という分野の形成へとつながった点で、その説は大きなインパクトを残したと言えるであろう。
 体液説に基づいた新たな医学理論と身体観は、体液のコントロールによって、医療が人間の身体を改良できるという発想を生み出した。オーストリア生理学者のシュタインナッハ(1861-1944)はまさにその改良法を実現した人物である。まず、シュタインナッハは内分泌物の調整によってセクシュアリティの変容を試みた。すなわち、手術などによって性腺の分泌量を調整し、その分泌物によって特徴付けられる男性性や女性性を変化させようとしたのである。セクシュアリティは不変なのではなく、医療的介入によってある程度まで操作可能であるとする彼の考えは、その医療技術がより広い対象へ適用されていく可能性を生み出した。第一次大戦後、こういった見方は一般大衆にも広がっていき、同時に、性に関する分泌物が生殖だけでなく、生命あるいは生活一般においても重要であると解釈されるようになっていった。たとえば、1920年にシュタインナッハは、壮年の馬車の御者に対して精導結紮手術を施し、性腺から分泌されるホルモンの量を制御することで、その患者の日常的なバイタリティを取り戻すことに成功している。さらにこの改良法は、一般的な身体機能だけでなく、想像力に対しても良い影響を与えうるとみなされるようになっている。実際、かのウィリアム・バトラー・イェーツは、この手術を受けた後、想像力が回復し、より充実した著作活動が可能となったことを多いに喜んでいる。このようにシュタインナッハによる精管結紮手術は一世を風靡したが、予防接種が子どもたちに義務であるように、近い将来、精管結紮手術は老人にとって義務である考えられるようになるだろうと希望を込めて語る者もあらわれたほどであった。
 シュタインナッハとその周りの者たちが採用した諸概念や諸技術は、必ずしもこの時代に生まれたものではなかった。むしろ、これまであった体液説や生殖技術などが19世紀という時代にあわさることで、内分泌物をめぐる新たな医学思想や人間を改良するための医療技術が生み出され、広がっていったのであった。

関連文献

Otto Weininger: Sex, Science, and Self in Imperial Vienna (The Chicago Series on Sexuality, History, and Society)

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