帝国と宣教医療:Kakar "Leprosy in British India, 1860–1940"(1996)

 前回エントリ(コチラ)に引き続き今回も宣教医療に関する文献を。宣教医療という研究テーマへの注目を促した重要な研究の一つです。

Sanjiv Kakar, "Leprosy in British India, 1860–1940: Colonial politics and missionary medicine," Medical History, 40(2), 1996: 215–230.
http://journals.cambridge.org/action/displayAbstract?fromPage=online&aid=8635402
※ 無料閲覧・DL可能

 インドを対象に植民地医療の研究をおこなうデイビッド・アーノルドは、西洋医学の理念や実践を植民地に広める際に宣教医療が大きな役割を果たしていたことを指摘した。本論文が注目する植民地インドのハンセン病者たちもまた、宣教師たちが主導した西洋医療をとくに享受していた。著者はインドにおけるハンセン病者への処遇を検討することで、政治・宗教・医療の複雑な相互作用によって形成された宣教医療という主題への関心を喚起している。また、西洋医学が上からの強制として一方的に進められたのではなく、あるときは患者自身がそれらを部分的に変化させながら利用しようとしたことを明らかにしようと試みている。
 植民地インドにおけるハンセン病者への処遇は、ハンセン病に対する当時の医学理論だけでなく、内政的な問題とも関連して進められた。1867年にイギリス王立内科医協会の報告ではらい病が伝染性でないと結論づけられた。しかし、ハワイのらい病施設で病者へのケアをおこなっていたダミアン神父が、1889年に自らハンセン病に罹患して死亡したことにより、らい病患者の隔離を主張する世論の声が高まることになる。彼の死の直後、イギリスでは国立らい病基金が設立され、インドでのらい病に関する委員会も設置された。当初委員会は世論の高まりに反してらい病の伝染説を採用せず、強制隔離をおこなわない方針を打ち出したが、地方レベルでの隔離の訴えはなくなることがなかった。たとえば、都市部のインド人・ヨーロッパ人エリートたちはらい病が伝染性であり、人びとの生命を脅かすと喧伝し、強制的な隔離政策を主張したのであった。結局、そのような声を無視することができなくなった中央政府は、1898年にハンセン病法をつくり、潰瘍形成が進行中の放浪するらい病者を対象に施設への強制隔離を決定した。そこでは当初否定されていたハンセン病の感染説が採用され、植民地の関心に合うような新たな医学的な定義がつくられたのであった。この法律の適用範囲は限定的であったが、それはハンセン病者収容施設に対する政府の見解を明確にした点では画期となる法律であった。
 宣教師たちにとってこのようなハンセン病者収容施設は中心的な活動の場であり、実際にインドのハンセン病者収容施設のほとんどは宣教師たちによって運営されていた。1874年にアイルランド人牧師ウェルズレイ・ベイリーが「らい病者への宣教(現、ザ・レプラシー・ミッション)」をインドで開始した。そこでは、聖書にみえるらい病者への救済に基づき、患者へのケア活動が進められた。中世においてらい病者を収容した施設は聖域として機能していたが、1889年までにインドではそこが西洋医学の場であると認識されるようになっていった。そこでの宣教師たちによる医療実践としては、ハンセン病の遺伝説にもとづき、患者を異性と隔離することによって子孫を根絶させようとしたことがあげられる。しかし、インドの伝統では患者が健康な妻を伴って施設へ入居することは稀なことではなかったため、この処遇に対する患者の反発は強かった。実際、1921年に男女の隔離がおこなわれていたチャンパの施設から、隔離がおこなわれていないサム・ヒッギンボトムへと30人の患者が自主的に移動している。また、施設では他の疾患に比してかなり多くの医療がおこなわれていたが、それはコルカタ熱帯医学校におけるハンセン病治療の発展によるところが大きかった。たとえば、同医学校のレオナルド・ロジャースが1915年に大風子油によるハンセン病治療を考案したことにあるように、この時期には初期のハンセン病患者に対する治療の機運が高まった。そういった風潮は収容施設の意義の再考を迫り、隔離を中心とする処遇から医療行為の実践を進めようとする宣教師もあらわれた。しかし、そのような態度は「らい病者への宣教」の総書記によって、本来のキリスト教的な施設の役割が損なわれるとして咎められることにもなった。
 このようにハンセン病者収容施設におけるケア活動は、医療行為や中世的な実践、さらには宗教的な儀式などの複雑な相互作用によって進められていた。そして、それらは一方的な行為としておこなわれたのではなく、あるときは患者の反応によって修正させられることもあったのである。

参考エントリ・文献

http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/58073060.html


Colonizing the Body: State Medicine and Epidemic Disease in Nineteenth-Century India

Colonizing the Body: State Medicine and Epidemic Disease in Nineteenth-Century India

植民地インドに関する代表的な植民地医療史研究の一つ。同書でインドにおける宣教医療への注目を喚起しています(244頁)。


植民地インドに関する代表的な植民地医療史研究の一つ。なお、鈴木晃仁先生のブログにも同書に関するエントリ(コチラ)があります。


The Oral History Reader (Routledge Readers in History)

The Oral History Reader (Routledge Readers in History)

本論文の著者が"Leprosy in India"を寄稿しています。本論文で少しだけ言及されていた、インドのハンセン病者に対するオーラルヒストリーについて。


飢饉・疫病・植民地統治―開発の中の英領インド―

飢饉・疫病・植民地統治―開発の中の英領インド―