中世スコラ学と近代的原子論の連続性:平井浩「ルネサンスの種子の理論」(2002)

 去る2月7日、駒場科学史講演会としてヒロ・ヒライ氏による「ルネサンスの生命と物質――20年の海外研究生活から(日本学術振興会賞記念講演)」という講演がおこなわれました。氏の長きにわたる海外研究生活と絡めつつ、博士論文の主題である「種子の理論」、および、それ以降に取り組んできた「人文主義と自然哲学」に関するレクチャーだったのですが、これぞまさにインテレクチュアル・ヒストリーの王道というような素晴らしい講演でした。なお、それぞれ既に『ルネサンスの物質理論における種子の概念(Le concept de semence dans les théories de la matière à la Renaissance)』(2005)〔1999年にリール第3大学に提出されたの博士論文の書籍化〕、および、『医学人文主義と自然哲学(Medical Humanism and Natural Philosophy)』(2011)として出版されています。その講演内容もさることながら、フロアとの間でおこなわれた質疑応答も白熱し、会場にいる人すべてが知的充足感を味わうことができた講演会であったと思います。
 なお、その講演会の様子は参加者によってTwitterで実況され、既に@kimo_QさんによってTogetterにまとめられております(コチラ)。そのため、講演会全体についてはそちらをご覧いただくとして、本エントリでは講演会との話題と関連させながら、第一著作のエッセンスを抽出して書かれた『思想』論文の紹介をおこないたいと思います。

平井浩「ルネサンスの種子の理論――中世哲学と近代科学をつなぐミッシング・リンク」『思想』944、2002年、129–152頁。
http://www.geocities.jp/bhermes001/shiso.html
※ 氏の運営するウェブサイトbibliotheca hermetica(通称BH)で無料で閲覧することができます。

 事物や宇宙の起源は何であるか?古代から哲学者たちはこの問いに取り組み、今日の科学者たちもそれを問い続けている。この問いに対し、古代・中世の哲学者が提示した一つの回答は「種子」であった。17世紀に機械論的粒子論が支配的になるまで、この答えは一定程度説得的であったと思われる。本論文はこの種子についてルネサンス期に論じた6人の思想家に注目し、それぞれの理論間の対立や影響関係、さらに種子論の発展について論じている。そして、「種子の概念史」を描き出すことで、まさに副題にあるように「中世哲学と近代科学をつなぐミッシング・リンク」を明らかにするのであった。
 種子論のスタートラインとして、フィレンツェの哲学者フィチーノ(1433–1499)が選ばれる。プラトンの著作を数多く翻訳し、西欧世界へのプラトン宇宙論の紹介者として知られる彼の著作には、ルネサンス型種子論の萌芽を確認することができる。すなわち、神がヒエラルヒーの頂点(あるいは円の中心)に位置し、その下(周り)に知性、霊魂、自然、物質がある、とする宇宙論である。このとき、神的な知性はイデアを、霊魂は理性を、自然は種子を、物質は形相を内包していると考えられた。フィチーノは実体形相の概念を種子論と結びつけることで、プラトン主義形而上学アリストテレス主義自然学を従属させようとしたのである。その後、フィチーノの種子論は地位の大きく異なる二人の思想家へ継承される。それがフェルネル(1497–1538)とパラケルスル(c.1493–1541)である。フランス人医師フェルネルは、アカデミアのメインストリームにいながら、フィチーノの種子論を医学教育に援用した。ガレノス医学の根幹にその種子論を位置づけることで、キリスト教信仰との調和をはかったのである。一方、パラケルススラテン語学術書を書くというアカデミアの作法には与せず、アカデミアの外部でドイツ語著作を執筆しつづけた。彼は16世紀前半において最も種子論を自然学への応用をはかった人物であり、フィチーノの種子論を部分的に引き継ぎ発展させている。その理論では、鉱物にも種子があるとされ、硫黄・塩・水銀という「三つのもの(drei ding)」が種子に他ならないと考えられたのであった。
 フェルネルとパラケルススによって発展させられた種子の理論を整理し、「種子の哲学」として集大成したのがセヴェリヌス(1540/42–1602)であった。彼の『哲学的医学のイデア』(1571)は当時のラテン語出版の中心地バーゼルで出版され、後世に絶大な影響を及ぼした。彼はフェルネルの生理学的・医学的概念を自らの種子の理論と置き換え、同時に、パラケルススの理論を脱神秘化したのである。すなわち、種子は世界中のすべての活動の源泉であり、彼の理論の中心なのであった。中世哲学から連なるセヴェリヌスの種子論は、17世紀の新哲学の創始者たちにも影響を与えることになる。化学(キミア)の分野では、ファン・ヘルモント(1579–1644)によってセヴェリヌスの種子の理論が継承された。しかしここでより重要なのは、彼がその種子論を、偽ゲベルの錬金術における粒子論的な物質理論と結びつけようとしていたことである。こういった試みは、その後、近代科学の礎を築いたとされるガッサンディ(1592–1655)によっても進められた。彼は合理的機械論者とも呼ばれるが、明確にセヴェリヌスの議論を引き継いでおり、種子的力によって事物の生成が起きると主張したのである。このとき、その種子概念は彼の原子論と接続される。ある秩序に基づいた原子の集合が分子と呼ばれ、それがある事物の種としての特徴を規定するとされた。つまり、彼は種子と分子とを同一視することで、種子概念の「粒子論的再解釈」をおこなったのである。
 以上のような「種子の概念史」によって、中世スコラ学における「実体形相」という概念が、18世紀における機械論的な「分子」概念とつながっていることが明らかになるのであった。

関連文献

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