科学研究のもつ歴史への関心/時間への無関心:Daston "The Sciences of the Archive" (2012)

 明日に迫ったOsirisの読書会に向けて、担当箇所のレジュメを作成しました。なお、読書会はドタ参も歓迎ですので、お時間ある方はどうぞ。詳細はコチラ(オンライン参加もできます)。

Lorraine Daston, "The Sciences of the Archive," Osiris, 27(1), 2012, pp. 156-187.

Clio Meets Science (Osiris, Second Series)

Clio Meets Science (Osiris, Second Series)

http://www.jstor.org/stable/10.1086/667826

 19世紀半ば以降、人文主義者は図書館の過去のテキストを保存し、それらに解釈という技芸を通じて生き返させるものであり、科学者は20年以上前の出版物は顧みず、未来に向けて無時間的な真理を目指すものであるという分類がみられるようになった。しかし、科学の中にも本質的に歴史的な実践に依存しているものもあり、たとえば、天文学や地質学といった長期的データが必要な科学、あるいは、植物学や動物学といった様々な標本が必要な科学においては、データや標本のアーカイブといった「歴史」は重要な意義をもっていた。本論文は、このような科学を「アーカイブ科学」と呼ぶことで、この科学が未来の利用者に向けて、過去のものを収集・分類するという特徴をもつプロジェクトであることを描き出し、人文学と科学という知識の旧来の二分法という見方に対して問題提起を試みている。
 アーカイブ科学という科学研究は、観察された知識を集めた観測所や実験室だけで進められたわけでなく、テキストなどを集めた図書館においてもおこなわれていた。それぞれの場はモノに関する「観察」と言葉に関する「歴史」という知識の貯蔵庫として象徴的であるが、実際のところ、初期近代の自然哲学者たちはそれらの間に大きな区別を認めていなかったし、それら知識は合わさった形で存在していた。ベイコンに象徴されるような集合的な経験主義者たちは、自然の事物があまりに膨大であるため一人の人間が独力でそれらを見知ることは不可能だとし、未来の知識コミュニティにいる者のためにも過去の知の整理・収集・保管を試みた。たとえば、隕石の観測データなどは稀なことであるため、天文学者はそういったデータを重宝していたし、日常的な気象データなども未来の科学者に向けて保管されるべきと考えられた。このように、彼らは同時代の者と標本や図像、観察結果を交換しただけでなく、過去の歴史を読み取ることで知識を得、自らも観察をおこなうことで未来の人のために知識を提供しようとしていたのである。
 知るということにおいて、過去の書物を読むことと自然の書物を観察することは別個の実践ではなく、それらは混ざり合った行為であった。たとえば、植物学者のコンラッド・ゲスナーは他の典拠からの知識の抜粋などと自らの観察による知識との間に明確な区分はおこなわず、様々に切り取った知識を新しいパターンで再配列している。人文主義者たちは書物を読み、文字を抜粋したり要約したりする技術を育んでいたが、古代よりペルシャの学者たちはそういった読む技術をみる技術とうまくハイブリッドさせていた。そのような方法は17世紀フランスの医師ドニ・ドダール(1634-1707)も執筆した『植物事典』においてもみられ、そこでは植物を同定するために古典による記述と実際目で見た観察が駆使された。一方、キュビエのように古典の知識を信頼に足るものとそうでないものに峻別しようとする者もいたが、このときも依然として書物を読むことの重要性は失われていなかった。18世紀終わりから19世紀はじめにかけて科学研究が書物による学習との関係性を変えたときであっても、図書館は自然誌にとって必須の場であり続けたのである。
 以上のようなアーカイブ科学の特徴からは記憶の人文学と忘却の科学として対立的に捉えてしまうことの問題がみてとれるだろう。また、他の歴史が時代区分などの作業に関心を払う反面、科学における歴史は時間的な特徴づけに対して関心を払わない点で特徴的である。それぞれがこのような特徴をもつため、歴史は時間に拘泥してアナクロニズムに陥る可能性をもち、一方の科学における歴史すなわちアーカイブ科学はベイコンがソロモンの館でみたユートピアを現代においても図書館やアーカイブにおいて実現させようと夢想し続けるのであった。