『本草綱目』を準備した宋代の医学発展:島居一康「『本草綱目』に見る中国医療の到達点」(2013)
島居一康「『本草綱目』に見る中国医療の到達点」京都橘大学女性歴史文化研究所(編)『医療の社会史――生・老・病・死』思文閣出版、2013年、25–44頁。
- 作者: 京都橘女子大学女性歴史文化研究所
- 出版社/メーカー: 思文閣出版
- 発売日: 2013/04/01
- メディア: 単行本
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明代中期の医学者・李時珍(1518–1593)が著した『本草綱目』(1578年に完成、1590年に刊行)は中国本草学においても最も重要な著作である。本論文では、この大著が生まれるに至った背景を宋代(960–1279年)の中国における医学の発展と関連させながら論じている。たとえば医療制度についていえば、1076年に太医局が発展解消し、医師養成の国家機関として独立し、それが中国医学史上はじめての国営の薬局「太医局熟薬所」(売薬所とも)を附属し、医療制度の整備が進んでいる。また医学知識についていえば、1057年に官立の「校正医書局」が設置され、歴代の重要な医学書・薬学書が積極的に収集・整理・考証されるようになっている。さらに、この時期には本草学の大著『証類本草』(1082年)が医師・唐慎微によってあらわされ、増補を繰り返しながら、全国へ流通していったという。ここで重要なのは、南宋(1127-1279年)においては、臓腑理論や経絡理論の医学理論が学界の中心であったため、『証類本草』を超える本草学書がこの時代には生まれなかったという点である。結局、そのような傾向はその後長らく続き、明代中頃になってやっと李時珍が『証類本草』を基礎にして、その後の500年の経験的知識を積み重ねた『本草綱目』を完成させたのであった。