寛政改革における仁政イデオロギーの変化:宣芝秀「「御救」から「御備」へ」(2012)
宣芝秀「「御救」から「御備」へ――松平定信「寛政の改革」にみられる社会安定策」『日本思想史研究』44、2012年、29-47頁。
松平定信による享保の改革では、諸藩に対する囲籾令や七分積金令にみられるように、幕府によって各藩での備蓄が大いに奨励されることになった。この政策は先行研究では経済的な観点から考察がなされてきた。つまり、前代の田沼意次が進めた重商主義の影響で農村が疲弊し、天明の大飢饉も重なって、打ちこわしが発生し、定信はそれを踏まえ、農民のための囲籾などによって重農主義を進めたという見方である。それに対し本論文は幕府の支配の正当化の仕方に変化が起きたことに注目し、松平定信の『国本論』などを手がかりに、幕府の「仁政イデオロギー」の変遷を跡付けようとしている。
寛政期より前の時代においては、軍事的な観点から、幕府は一部を除いて各藩での貯穀を原則的に禁止してきた。飢饉時などには幕府は自らの手によって「御救」を施すことにより、その支配を正当化してきたのである。しかしながら、寛政期になると一転して、幕府は諸藩での貯穀をすすめるようになる。すなわち、幕府の「仁政イデオロギー」が「御救」を志向するものから「御備」へと質的に変化したといったのである。その背景には、それ以前からも多少はおこなわれていた「御備」が、緊急時にはほとんど役に立たなかったことを定信が痛感したことにある。実際のところ、徳川吉宗の時代には既に「置米」が実施されていたものの、それは有名無実化していたし、また、東北諸藩に命じていた「上納米」によっても、結局、江戸での打ちこわしを防ぐことにはならなかったのである。
ただし、幕府による「御救」から各藩での「御備」へという方針転換は、ともすれば、幕府による支配の正統性に揺るがす可能性がある。なぜなら、それぞれの地域で緊急時に備え、解決できてしまうので、そこに「仁政」の発露としての「御救」がみられなくなってしまうからである。それに対し、定信は「民」および経済に対する新たな見方を導入することにより、幕府の支配の正統性を保持しようとした。たとえば、定信は「民」を君主あるいは国家と不可分なものとして捉えていた。同時に彼は、経済の全体量を一定のものとみなし、それをいかに適切に配分するかに関心を注いだ。そのような発想に基づき、彼は君主自らが倹約をし、蓄えをすることにより、それらが民衆へと行き渡り、それにより国も繁栄すると考えたのである。民衆の救済を優先するからこそ、地域波及に時間がかかる幕府の「御救」ではなく、緊急時にすぐに対応できるそれぞれの藩での「御備」を選択したのだ。つまり、「御備」を強化することこそが幕府の支配の強化につながると考えたのであった。
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