「霊的武器」としての西洋宇宙論:平岡隆二『南蛮系宇宙論の原典的研究』(2013)#1

 週末のイベントに向けて、平岡さんの本の前半部をまとめました。

平岡隆二『南蛮系宇宙論の原典的研究』花書院、2013年、1–102頁。
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 1552年、日本への伝道活動の嚆矢として知られるザビエルはヨーロッパのイエズス会士へとある手紙を送っている。そこには、好奇心旺盛な日本人たちを満足させるために、また、仏僧らを説き伏せるためにも、今後日本に訪れる神父はとくに宇宙論的な知識を備えるべきであることが記されていた。ザビエルの言葉通り、その後日本にやって来た宣教師たちは布教の際に西洋の知識が果たす効力を実感し、1593–1595年に西洋宇宙論を多く含む『講義要綱』三部作が神父予備生のための教科書として完成したことにより、日本宣教における科学知識の重要性が確固たるものになった。というのも、『講義要綱』が正式に日本での神父養成カリキュラムに組み入れられることが決定したからである。ここにおいて、日本人をキリスト教信仰へ導く際には、天文学的な知識が「霊的武器」として大きな位置を占めるようになったのである。
 その西洋宇宙論のなかには、日本人をキリスト教信仰へと導く思想的な含意があった。本書で特に注目されるのは、信仰への導入としての「神の存在証明」(デザイン論)、および、段階的な教理展開の一つとしての「パライソ(楽園・天国)の場所」である。トマス・アクィナスに代表されるように、「神の存在証明」自体は中世以来の神学的命題であったが、そのことは宣教師にとっても重要な命題であり続けた。ただし、そこでの神の存在証明はルネサンス的なもの、すなわち、「自然の書物」を読むことを通じて神を知ろうとするものへと変化しており、自然の事物に関する比喩が多く使われるようになっている。そのような傾向は、当時、日本布教の最高責任者をつとめていたヴァリニャーノ(1539–1606)の『日本のカテキズモ』(1586)や、来日イエズス会士随一の学者で、日本準管区長をつとめたペドロ・ゴメス(1533/1535–1600)の『講義要綱』にも見いだせる。彼らは自然の秩序を通じて神の存在を知らしめ、それによって日本人をキリスト教信仰へと導こうとしたのである。
 一方、「パライソの場所」をめぐる問題は、「理性(自然)」と「信仰(超自然)」の結節点として捉えられるものであり、キリスト教の教理を段階的に理解させる中でも中枢を占めるものであった。そして、ゴメスやヴァリニャーノはこのパライソというキリスト教な問題を西洋宇宙論と絡めて論じている。かねてより天文学者たちは地球を中心に10個の天球がそのまわりに位置すると想定していたが、12〜13世紀にかけて、神学者たちはそれに11番目の「天」を付け加え、そこを神の栄光に包まれた諸聖人の場である「エンピリウム天」と呼ぶようになった。これはまさに、アリストテレス的自然学とキリスト教的神学を整合的に解釈しようとする中で生まれた概念であるが、この自然と宗教を結びつけようとする思想は、宣教師たちにも継承されたのである。たとえば、ヴァリニャーノは『日本のカテキズモ』において、エンピリウム天を神の座であるとし、そこを霊的救済の象徴であるパライソと位置づけたのであった。

 このように、日本への宣教活動が同時代の西洋における思想史的コンテクストにおいて捉えられたが、次に、宣教師ゴメスによる『講義要綱』の文献学的な検討がおこなわれる。ここで著者が強調するのは、ゴメスの著作がそれまでの西洋世界における他の宇宙論のテクストを多く参照しながらも、その引き写しではなく、布教という目的のためにゴメス自らがその内容や構成を最適化しようとした点である。たとえば、三部作の中で宇宙論に特化した『天球論』(1593)は、クラヴィウスの『サクロボスコ天球論註解』(1570)、および、フランシスコ会士のティテルマンスの『自然哲学要綱』(1530)という同時代のヨーロッパで評判の天文学書・自然哲学書に多くを依拠している。しかし、それらを引用するに際して、ゴメスは宣教という自らの目的を踏まえながら、創造的工夫をおこなっている。たとえば、ゴメスは『サクロボスコ天球論註解』における高度に専門的な数理天文学的知識は引用せず、日照時間や日蝕の事例など実用的な知識ばかりを引用している。同じように、『自然哲学要綱』のギリシャ語に関する知識は省き、そこに記されていた地震に関する記述に最近のデータを入れて、『天球論』をまとめている。
 『講義要綱』三部作の一つである『神学要綱』(1593)には、『天球論』とは異なり天球に関する数値データが多く記載されているが、ここにもまたゴメスの教科書執筆における創造的な姿勢を見出すことができる。このことは、『神学要綱』には諸天の高さや厚さ、円周値などの天文学的データが掲載されているが、それらの全てが『サクロボスコ天球論註解』からの抜粋・要約であったわけではない点からもわかる。というのも、ゴメスが参照したと推定される『サクロボスコ天球論註解』の1581年版には諸天の「厚さ」が記載されていないが、ゴメスはその部分のみ別の書から抜粋し、その「厚さ」を『神学要綱』にまとめているのである。つまり、ゴメスは著名な天文学書を安易に引き写すのではなく、自ら取捨選択し、教科書執筆をおこなったのであった。

参考(日本布教における宇宙論・デザイン論の位置づけ(概念図):本書41頁より)

関連エントリ・文献

道徳的天と自然的天の分離 伊東「アリストテレスと日本」 - オシテオサレテ

沢野忠庵による『乾坤弁説』(1650)は、伊東俊太郎氏によってその著作がゴメスの『天球論』から受けた影響が指摘されてきました。それに対し(上の要約では割愛しましたが)第3章では、『乾坤弁説』が『神学要綱』から受けた影響について検討がおこなわれています。


南蛮学統の研究―近代日本文化の系譜 (1978年)

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