第60回日本科学史学会年会(2013年5月25–26日、於:日本大学商学部)

 週末に開催された日本科学史学会・第60回年会(2013年5月25–26日、於:日本大学商学部)の参加メモを簡単に残しておきます。なお、プログラムなどは下記リンクから閲覧可能です。

終了 2013年度 総会・第60回年会(2013/4/21最終案内) | 日本科学史学会
 
 中尾麻伊香さん(日本学術振興会特別研究員PD/慶應義塾大学)の「近代日本の放射線医学が媒介した二つの世界――伝統と近代の間で」では、 放射線医学研究によって、一方では温泉地の観光地化が進められ、もう一方ではそこで新たな「伝統」が作り出されたことを指摘したものでした。明治末年より開始された日本における放射線医学研究は、1913–1915年頃に隆盛をきわめます。そして1910年には、東京帝大の眞鍋嘉一郎(1878–1941)らによって、温泉の治療効果とラジウムの崩壊生成物(ラヂウム・エマナチオン)の含有量とが比例していることが報告されました。そのような最新の医学知識を受け、地方の温泉地では自らの地にはラヂウム・エマナチオンが多くあるとこぞって宣伝し、観光客の誘致を進めていきます。たとえば、福島の飯坂温泉について鉄道院が編集した案内書『飯坂温泉案相』(1911)では、ラヂウムの効果に関する医学者の研究報告が掲載され、その温泉地の効能を医学的に権威づけようとされています。一方、同時期に飯坂の地元住民たちの間では、その土地の人びとはラヂウム・エマナチオンという「精霊」の「福音」に守られていたからこそ、これまで健康であり続けたとうたわれるようになります。つまり、放射線医学の誕生によって、地元住民の健康状態や性格などが新たな「伝統」として創り出されたのでした。(なお、本報告の予稿・パワポデータは中尾さんのリサーチマップページから閲覧することができます。)
 柴田和宏さん(日本学術振興会特別研究員DC/東京大学)の「フランシス・ベイコン『古人の知恵について』に見る長命論」では、ベイコンの特徴的な神話解釈を手がかりに、彼の技芸に対する考えや医学思想を明らかにするものでした。神話解釈をめぐる議論が17世紀に流行する中、ベイコンによるプロメテウス神話の読み方は非常に特徴的でした。それは彼の前にその神話を紹介したナタリス・コメス(Natalis Comes, 1520–1582)の解釈と比較するとわかりやすくなります。プロメテウスによる火の「盗難」を告発した人間は、絶対神より褒美を与えられることになりますが、その運搬過程において、それが蛇の手にわたってしまいます。その褒美を手に入れた蛇は、コメスが解釈するところによれば、脱皮を繰り返して「若さを維持する」という人間にはない技芸を獲得したのでした。一方のベイコンは『古人の知恵について』(1609)において、人間がプロメテウスの火という「技芸」に疑いをかけた点に注目し、コメスでは黙殺されていた現実の医学への応用可能性を見いだそうとします。つまり、寿命の延長には、既にある技芸に満足するのではなく、懐疑を投げかけることではじめて到達しうると考えたのでした。ここには、ベイコンの技芸観や自然哲学観の一端を垣間見ることができるでしょう。そのため、ベイコンの思想をよりよく理解するには、あまり有名ではありませんが、何度も手が加えられ、他地域にも広く流通した本書が今後検討されるべきであると柴田さんは主張していました。
 加賀野井瞳さん(ブリュッセル自由大学)の「馬の健康を測る」 では、ヒポメーターという馬の測定器具に注目し、18世紀に馬の身体に対する医学的関心が高まったこと指摘するものでした。この測定器具は近代獣医学の父と称されるクロード・ブルジュラ(Claude Bourgelat, 1712–1779)によって18世紀中頃に考案されました。ブルジュラは1761年にヨーロッパ初の獣医学校を創設し、これまで等閑視されていた馬への医学を、人間のための医学を応用することで発展させようとしたのです。しかし、馬は人間と違って言葉を喋ることができないため、その健康を知るためにはその馬の行動や外見上の変化をつとに観察することが重要になります(今回の報告ではこの点について明示的には述べられていませんでしたが)。ここにおいて、ヒポメーターに期待される機能は決定されたと考えることができるでしょう。すなわち、それは絶対的な長さをはかることを目的とするものではなく、それぞれの馬の頭を1テットとして、それとその馬の各部位との相対的な数値を求めるためにつくられたのです。あくまで個々の馬の健康状態を描き出すために、身体的な変化を記述するための道具であり、それゆえ、その道具は馬一頭毎につくられねばならなかったのです。(なお、このまとめは、当日の報告に加え、加賀野井さんの「『百科全書』にみる18世紀の馬学」(コチラから閲覧可能)も参考にしています。)

関連リンク

日本科学史学会第60回年会参加記 - オシテオサレテ

坂本邦暢さん(日本学術振興会特別研究員PD)による参加記です。上記柴田・加賀野井報告に加え、今井正浩「クリュシッポスと初期アレクサンドリアの医学者たち――人体の中枢器官をめぐる論争史の一端」および多久和理実「科学啓蒙書に登場するニュートン光学」が紹介されています。


鉄道会社が「初詣」という伝統の創造によって鉄道利用を進めようとしたことを指摘した本書は、中尾さんの報告とも部分的に重なるところがあるかもしれません。


Classic Deities in Bacon: A Study in Mythological Symbolism

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百科全書 (1979年)

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