細菌学理論によって消された階層の違い:平体由美「アメリカ南部公衆衛生行政の展開」(2009)

 今週末に開催されるアメリカ政治研究会の予習として、報告者・平体由美さんの過去の論文を読みました。なお、研究会詳細はコチラ

平体由美「アメリカ南部公衆衛生行政の展開――ロックフェラー衛生委員会と20世紀初頭の鉤虫病コントロール」『アメリカ史研究』32、2009年、20–35頁。

 近代日本では、その中央集権的な権力体制により、公衆衛生制度を通じた国民の規律化が進められた。一方、20世紀初頭のアメリカでは、そういった規律化の契機を連邦政府はもちろん、州政府もなかなか持つことが出来なかった。そのため、規律的な国民を生み出し得た地域とそうでない地域が生まれ、全国的にみると「まだら模様の国民化」へと帰結した。本論文では、ロックフェラー財団による公衆衛生員会に着目しながら、アメリカ南部における衛生制度の構築と国民化の進行について論じている。
 ロックフェラー財団の目的とは、「彼ら」を「われわれ」のようにすること、つまり、南部の人間を北部の人間のようにすること、あるいは、南部の黒人を南部の白人のようにすること、といった「国民化」を進めようとしていた。その際に、ロックフェラーが注目したのが医学・公衆衛生分野であり、1901年にはロックフェラー医学研究所、1909年にはロックフェラー衛生委員会が設立された。とくに注目すべきは、後者においてはアメリカ南部の人びとを苦しめていた鉤虫症の根絶が目標として掲げられたことである。そこでは、この病気を細菌学理論で読み替えることを通じて、南部の貧困層の白人というマイノリティを、同じ経済発展の担い手として、南部の白人エリート層というマジョリティへ同化させることが試みられている。すなわち、それまで鉤虫症は南部の白人貧困層に特有の怠惰に由来するものであると考えられていたが、その病気はエリート層にも伝染しうること、さらに治癒可能であることが細菌学によって明らかになり、貧困層とエリート層を断絶的に捉えることが難しくなっていたのであった。
 もちろん、公衆衛生を通じたこのような国民化が全てうまくいったわけではない。ロックフェラー衛生委員会は南部での活動を進めていくにあたって、民衆感情に配慮しつつ、南部出身の教育心理学者・倫理学ウィクリフ・ローズに協力をあおいだ。1909年に登用されたローズは、南部社会での公衆衛生制度構築にあたって、とりわけ教育・広報に力を注いだ。たとえば、鉤虫症の原因は貧困層特有の「怠惰」によるものではなく、病原菌によって引き起こされることを顕微鏡を使いながら実演してみせた。さらにローズは伝染の温床となっていた排泄物処理について、地方の公衆衛生局と協力しながら、トイレ設置などによって対応しようとした。しかし、それら機関は黄熱病や天然痘などの急性伝染病が発生したときにのみ活動する休止機関であったため、専門知識を長期的に職員に身につけさせることが難しいという困難に直面した。そのため、1914年にロックフェラー衛生委員会の活動が終了すると、結局、それまでの衛生状況に後戻りしてしまう南部地域が多かったのである。
 6年間のロックフェラー衛生委員会の活動によって、地方政府機関の成長を促したこと、トイレ設置や水質管理が継続的に監視されるようになったこと、鉤虫症が治療可能であるという正しい認識が広がったことなど、南部地域の公衆衛生の水準を上げたことは疑いようがない。しかし、その多くは継続的なプロジェクトとはならず、「まだら模様の国民化」しか進行しなかったのである。継続的な取り組みをおこなった数少ない例としては、ノースカロライナ州があげられる。医学専門家のワトソン・ランキンが州公衆衛生局局長がつとめたために、ノースカロライナ州では、ロックフェラー撤退後も黒人学校での検診や黒人居住地域への医師派遣が継続された。そして、この姿勢に呼応するかのように、一部のカウンティでは住民自らトイレや上下水道といった衛生制度の構築が訴えられ、貧困層や黒人への公衆衛生が州に広がっていった。もちろん、このことを可能にしたのは彼個人の資質だけでなく、デューク基金によって充実化したデューク大学医学部の役割も大きかった。つまり、上からの衛生に関する知識を下の民衆たちに伝える役割として、その医学部が重要な中継点となったのである。

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