社会集団を「重層」的に「複合」的に捉える:久留島浩「「身分的周縁」から武士身分を問う」(2000)

 久留島浩氏の論考から、医師に関する事例に言及したところを中心にまとめました。

久留島浩「「身分的周縁」から武士身分を問う」久留島浩ら(編)『シリーズ近世の身分的周縁 6 身分を問い直す』吉川弘文館、2000年、49–72頁。

身分を問い直す (シリーズ近世の身分的周縁)

身分を問い直す (シリーズ近世の身分的周縁)

 近世社会の社会集団をいかに捉えるかについて、塚田孝はその社会集団を「重層」と「複合」という観点から捉えることを提起した。たとえば、在方の村役人が一方ではその村落共同体の利益を代表し、もう一方では幕藩体制による人民支配の末端に位置していたという事態は、社会集団の「重層」を示す事例である。他方、そういった村落共同体の中へと他所から瞽女や浪人などが入り込むことで、その村の財政や治安に同様が与えられる事態がみてとれる。このことは、村落共同体の視点からみれば、村が自らの利益を守るために種々の対応をはかる事例としてみられるが、一方の瞽女・浪人側の視点に立てば、自らの存在を組織的にすることで村への圧力・要求を強めようとする事例として捉えることができる。このように、村の側からみた一方的な視点だけでなく、それぞれの社会集団の論理に即した見方こそが、「複合」という観点に立った社会集団の捉え方であり、その意義を塚田は訴えるのであった。
 本論文の著者である久留島は、とくに社会集団を「複合」という観点から捉える見方を、ある「旅医師」の取り締まりをめぐる事例に適用しようとしている。弘化2(1845)年、甲州巨摩(こま)郡南部宿周辺に住む医師集団(医師仲間)が、最近その地で医療をおこなっている、身元不明の「旅医師」の取り締まりを名主へ願い出た。その後さらに、市川代官所にまでそのことを訴え出たことからは、医師集団が自分の縄張りを荒そうとする他の医師を排除しようとする事例としてみることができる。その後、それを受けた代官所は南部村に対してその旅医師を引き払わせるように命じている。このことは、かねてより身元不明者による医療を案じていた幕府(代官所)の、具体的な取り締まりの一事例として捉えることができる。一方、南部村の人々は代官所および医師集団からの圧力に屈して、一度は旅医師の引き払いに納得したが、その旅医師の身元がわかると態度を一転させ、彼を村方の人別に入れようとした。つまり、旅医師の事例は、村が無医村の解消をはかろうとして、他の社会集団と意見を対立させた事例としても捉えることができるのである。このように、一つの事例をとってみても、医師集団・幕府(代官所)・村方のそれぞれの思惑が「複合」していることがわかる。