オーストラリアにおける鉱山労働者の珪肺への補償:Kippen "The social and political meaning of the silent epidemic of miners' phthisis, Bendigo 1860–1960"(1995)

Sandra Kippen, "The social and political meaning of the silent epidemic of miners' phthisis, Bendigo 1860–1960," Social Science & Medicine, 41(4), 1995, pp. 491–499.

 オーストラリアのヴィクトリア州ベンディゴの金山では、1860年代から1960年代まで労働者が珪肺という病気に苦しめられていた。その鉱山が開坑したのは1850年代であったが、この病気が人々の間で問題化されることになるのは20世紀の初めになってのことである。最初におこった動きは、鉱山内の換気によって珪肺の予防を進めようというものであった。その地域の医者などの声を受け、1904年に坑内に空気を入れることを定めた法律が制定される。しかし、それに対し鉱山経営者は終始反対したこともあり、通気などの取り組みはあまり広まらなかった。そのため人々の間では、通気などの環境を変えるだけでは病者を減らすことがないと意識されはじめ、関心は次第に彼らへの補償に向かっていった。そこで1938年に珪肺に苦しむ鉱夫への救済金が定められる。当初、その受給対象は素朴に決められており、珪肺を患っているか、あるいは珪肺と結核を併発している者であった。しかしながら、珪肺は事故などが直接的原因とならない点、また、病気の進行が遅いため、いつ不調を来すようになったかを確定できない点、さらには、鉱夫が複数の鉱山を渡り歩くことが多いため、どこの鉱山経営者が補償すべきかを定めにくい点などの問題があり、法律上、その制度の運営が難しいという問題に直面する。結局、1950年に珪肺がX線検査による診断で定義づけられることになり、それに基づいた補償が定められる。そのため、いくら珪肺の症状を示していても、その検査でそのことが証明されなければ、補償が得られることができなくなったのである。このように、鉱山における珪肺罹患者への補償は、社会経済的な問題、医学的問題、法律的問題、行政的問題が絡み合って制度化されていったのであった。

関連文献

Accidents in History: Injuries, Fatalities, and Social Relations (The Wellcome Institute Series in the History of Medicine)

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The Social History of Occupational Health

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