報告:藤本大士「近世日本における鉱山労働者の生命と医療政策――産業政策の一環か、領主の慈悲か」「生のガバナンス」研究会・第9回研究会(2013年6月28日、於:京都大学吉田泉殿)

 2013–2014年度・科研費挑戦的萌芽研究「生に関するゆるやかなガバナンスのあり方」(研究代表:吉澤剛;KAKENページはコチラ)の活動母体である「生のガバナンス」研究会において、発表させていただきました。以下、簡単にその報告を。

藤本大士「近世日本における鉱山労働者の生命と医療政策――産業政策の一環か、領主の慈悲か」「生のガバナンス」研究会・第9回研究会(2013年6月28日、於:京都大学吉田泉殿)
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 修論では、江戸時代の公権力が鉱山労働者ひいては民衆のために、いかなる論理のもと、生命保護としての医療政策をおこなったかを検討しました。そのとき、フーコーのいう生権力(生物権力)や生のガバナンスと、自分の扱った事例との関係性は、正直なところほとんど検討できずに終わってしまいました。そこで、今回はせっかくこのような場での発表機会をいただいたので、日本の医療史研究において、生のガバナンスという観点から捉えようとした先行研究を簡単にレビューしながら、江戸時代の鉱山労働者への医療的今日が、この議論のなかにいかに位置づけることができるかを検討しました。
 日本を研究対象とする医学史研究において、フーコーの生権力論などを参照しつつその日本的展開について議論されるとき、その始点は明治期以降にとられることがほとんどでした。そこではたとえば、西洋医学を国家の正統的な医学であると定めた明治7年の医制、あるいは、伝染病患者発生時に世帯主や医師に届け出義務を課した明治30年の伝染病予防法などがしばしば注目され、国民の身体・健康に対する国家的介入あるいは「健康である」ことを国民が自ら義務化していく様子が描かれてきたのです。このとき、それより前の時代における医学に関する思想や制度との関連性が議論されることはほとんどなく、その間には断絶があることが前提とされていました。しかし、明治期にそういった思想・制度が大転換したわけではないでしょうし、新政府は部分的には旧来あるいは既存の考えや制度を引き継いでいたはずです。
 そこで、本報告は江戸時代の公権力による民衆への医療政策についてみていくことで、明治期以降により浸透していく生のガバナンスの諸前提を考察する手がかりを提示しようと試みました。具体的にはまず、秋田藩と幕府の鉱山では、医療環境の整備の進み具合に大きな差があったことから、その差を生み出した思想的・制度的要因を指摘しました。つまり、秋田藩における「仁政としての御救」という思想と「改革派官僚」という人々の存在の全域的な広まりがあったからこそ、秋田藩では他地域に比して鉱山労働者への医療提供など積極的な医療政策がおこなわれたと考えられるのです。これを踏まえると、明治期以降に全国各地で進展していく生のガバナンスの遅速を、江戸時代におけるこういった制度・思想的な前提から説明できるかもしれません。ただ、現在はまだ幕末・明治期以降の秋田における医療政策に関する史料をみていないため、この点についてはスペキュレイションの域を出ていません。そのため、今後は明治期以降の展開をにらみつつ、研究を進めていければと思っています。
 なお、「生のガバナンス」研究会の研究課題の一つとして、まだちゃんとは説明できないけれども、ガバナンスがなされているようにみえる事象を理論化することがあげられます。つまり、既に理論化されているかっちりとしたガバナンスに注目するのではなく、ゆるやかにおこなわれているようなガバナンスに注意を払っているのです。この枠組みに引きつけて本報告を捉え直すと、明治期の公衆衛生制度は前者に、秋田藩における民衆のための医療政策は後者であると言えるでしょう。つまり、秋田藩におけるゆるやかなガバナンスへの着目は、明治期のよりかっちりとしたガバナンスとの連続性に注目を促すことができると考えられます。