日清戦争研究のこれまでと新潮流:大谷正「日清戦争」(2012)

 とある近代日本史ゼミのアサインメントとして、『講座 明治維新』より日清戦争に関する文献を読みました。本講座所収の他の論文に比べて、本論文は研究動向という色合いが強くなっていますので、以下の要約では研究史でキーとなっている文献の紹介と、最近の研究潮流についてざっと紹介するにとどめています。

大谷正「4 日清戦争明治維新学会(編)『講座 明治維新 5 立憲制と帝国への道』有志舎、2012年、113–148頁。

講座 明治維新5 立憲制と帝国への道

講座 明治維新5 立憲制と帝国への道

 著者はまず日清戦争研究の大きく4つの時期に分類し、これまでの研究史を概観する。その先駆は、信夫清三郎による『日清戦争』(1934年;発禁処分にあい、翌年に『陸奥外交』として再版)であり、そこでは陸奥外交の「二重外交」が指摘されている。つまり、戦前の日本外交を政府や外務省による「国務」と軍部による「統帥」とが対立したものであるとみなす見方である。戦後、このような枠組みを引き継いだ研究として、藤村道生および中塚明ら「旧世代」の研究があげられる。とくに藤村は『日清戦争』(1973年)、信夫の二重外交論を引き継ぎながら、戦争の局面をより詳細に検討することで、軍にとっても政府にとっても日清戦争は不可避の戦争であったと結論づけた。信夫や藤原らは敗戦を起点に過去を振り返るという発想法をとっていたが、1980〜90年代以降、高橋秀直・大澤博明・檜垣幸夫など次世代の研究者はそういった見方に与しなかった。彼らは日清戦争前の政府内部で大陸膨張路線と対清協調路線があったことを指摘し、むしろ後者が優位であったにもかかわらず、政府の場当たり的対処の結果、日清開戦へと至ったと主張する。つまり、開戦は非計画的・偶発的で、避けることができたというのである。その後、高橋による『日清戦争への道』(1995年)は新たな通説となりつつあり、新世代の研究者は、これまで日清戦争で注目されなかった軍事史的観点あるいは民衆史的、社会史的観点からの研究を進めている。
 以上の研究史を受けて、著者はさらに3つの新しい研究潮流を紹介している。第一に軍事史的観点からは、高橋・大澤・檜垣がまさに政治・外交・軍事の開戦前の準備不足を指摘し、従来の説を批判したことを引き継ぎながら、斉藤聖二の『日清戦争の軍事戦略』(2003年)は具体的にどの点が不十分であったかを具体的に掘り下げている。第二に戦争と国際法の観点からは、大石一男の『条約改正交渉史』(2008年)は陸奥の条約改正交渉が稚拙であったために、日本に不利な新条約が締結されたとし、その結果、日清戦争開戦へとつながったと指摘する。つまり、その交渉を失敗であったと評価し、陸奥外交の脱神話化を試みたのである。第三に戦争とメディアの観点からは、著者の大谷自身による研究が紹介される。日清戦争開戦に伴い、新聞各社はこぞって戦況を報道し、読者の獲得を目論んでいたが、その手法は中央と地方の新聞社では異なっていた。中央の新聞社は著名な画家や写真師を従軍させ、その様子を描いたもの・写したものを新聞に付録としてつけていたが、一方の資金力のない地方新聞社は、戦地の兵士からその家族に送られた軍事郵便を掲載することで、新聞を戦地と郷土を結ぶ掲示板として機能させ、読者の獲得を狙ったのであった。

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