「国民皆兵主義」という理念と一部の貧者だけの徴兵という実態:一ノ瀬俊也「軍隊と社会」(2012)
とある近代日本史ゼミのアサインメントとして、『講座 明治維新』より明治期の徴兵制によって変容する社会の様子を描いた文献を読みました。
一ノ瀬俊也「6 軍隊と社会」明治維新学会(編)『講座 明治維新 5 立憲制と帝国への道』有志舎、2012年、176–200頁。
- 作者: 明治維新史学会編
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明治6(1873)年に制定された徴兵令により、満20歳になった男子は検査と抽籤によって軍に編入させられることが決まった。しかしながら、このときはまだその中の約5.3%しか常備兵とはならず、ごく一部の者だけが長期の服役となる不公平な徴兵制度にとどまっていた。その後、明治政府が清との対立を深める中で軍拡路線がとられることになるが、まさにこの流れの中で明治22(1889)年に徴兵令の大改正が行われた。すなわち、一部の学生を除いた「国民皆兵主義」へと近づいたのである。ただし、この年に徴兵されうる男子36万人のうち、実際に「現役」となったのは1万9000人弱で、割合としては5.2%と依然として低いままであった。一方で、実に10万人を超える人々が疾病を理由に「免役」となり、3万6千人弱の男子が「逃亡失踪」した。このようにして「民衆は抵抗」したと著者は言うのである。結局、徴兵令改正後も、兵士となったのは同年代男子のごく一部に過ぎず、しかもその多数は貧者であると言う極めて不公平なものであり続けたのである。
日清戦争へと徴兵されてしまったそのような兵士たちは、当然不満をもっただろうし、家族の経済状況を不安に思うこともあっただろう。そのため、主に郡や村などの行政地域レベルで慰労義会や救助団体が設立され、出征兵士とその家族の慰労がおこなわれた。そういった活動は既に1880年代からおこなわれていたが、日清戦争開戦後は新聞メディアなどを通じて多くの「英雄」が作り上げられ、兵士の家族や地元住民、ひいては日本国民の一致団結がはかられたのであった。ただし、このときもまだ、上層民から下層民への差別意識は依然として残っていた。つまり、このとき国のために死んでいった人々は、貧困のために自ら軍夫を志願して従軍した下層の人々ばかりであったが、戦後、生き残った軍夫たちが社会に戻ってくることによって、社会風俗や政治経済に悪影響を与えるのではないかという不安を上層の人々は強く示したのであった。
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