売春婦の自由から市民の病気からの自由へ:田村俊行「一九世紀イギリスの売春統制」(2012)
来週金曜日に迫りました駒場科学史研究会では、立教大学博士課程の田村俊行さんに「19世紀英国における伝染病法」とタイトルで報告をお願いしています。その予習もかねて、関連する文献を読みました。なお、研究会はどなたでも参加可能ですので、関心があれば藤本(fujimoto.daishi@gmail.com)までご連絡下さい。研究会詳細は下記URLから。
・研究会 19世紀英国における伝染病法
田村俊行「一九世紀イギリスの売春統制――伝染病法の制定過程と「臣民の自由」」『史苑』72、2012年、37–58頁。
http://bit.ly/YSFIuT
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1864年のイギリスにおいて伝染病法が制定された。この法律の目的はイギリスの陸軍守備隊駐屯基地および海軍軍港などの特定地域における性病の流行を抑えることにあり、これにより、その地域で活動する売春婦が特定され、医師によって検診をうけさせられることになった。この法律については、ジュディス・ウォーコウィッツなどにより、男性医師と警察権力による女性の身体・セクシュアリティの統治という観点から既に論じられている。しかし、本論文はこの法律の制定過程をジェンダーやセクシュアリティの問題にのみ限定するのではなく、当時の自由主義的思想と関連づけることでより広い文脈に位置づけようとしている。とりわけ、クリミア戦争後に問題化されていくことになる兵士と売春婦との関係に注目している。
売春婦の統制システムを構築することは、同時代のフランスでは既に一般的におこなわれていたが、一方のイギリスではそういった制度が必ずしもスムーズに認められたわけではなかった。というのも、その制度は女性たちの自由を奪うことを意味し、それがイギリスの自由主義的な理念である「臣民の自由」に対立すると考えられたからである。実際、1857年には王立陸軍衛生員会で、1862年には海軍内の性病委員会で兵士と売春婦との関わりが問題化されることになったが、このときは売春婦の統制をおこなうことよりもむしろ、兵士たちの生活環境を整備する方が先決だと主張された。具体的には、兵士たちに売春へと向かわせないための他の「気晴らし」を提供することが提案されたのである。
しかし、売春婦の統制システムの構築と「臣民の自由」との間の緊張関係は、売春問題が性病という病気に読み替えられたことにより解かれることになる。1864年に伝染病法を提出した議員の一人であるモートン・ピートウは、売春問題の対象を明確化することで、売春問題に国家が介入することを正当化しようとした。すなわち、これまでのように売春それ自体を「悪徳」とみなすのではなく、それによってもたらされる病気こそが「悪徳」なのだとするのである。ここにおいて、ただ単に売春婦自体を統制するというフランス流のやり方ではなく、性病すなわち伝染病から市民を保護するという名目によって売春婦を特定・検査するというやり方が可能になり、1864年の伝染病法制定へと至ったのである。
関連文献
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