生活が苦しい女性労働者たちが余儀なくされる売春:メイヒュー『ヴィクトリア朝ロンドンの下層社会』(2009)

 明日の駒場科学史研究会では、立教大学博士課程の田村俊行さんに「19世紀英国における伝染病法」とタイトルで報告をお願いしています。その予習もかねて、19世紀半ばのイギリスの下層民に関するルポルタージュを読みました。以下では、特に研究会テーマに関連させて、「売春」に関する章をまとめています。
 なお、研究会はどなたでも参加可能ですので、関心があれば藤本(fujimoto.daishi@gmail.com)までご連絡下さい。研究会詳細は下記URLから。

研究会 19世紀英国における伝染病法

ヘンリー・メイヒュー「第4章 街の女になったお針子」、「第11章 ブレイスブリッジ・ヘミング「ロンドンの売春」」『ヴィクトリア朝ロンドンの下層社会』松村昌家・新野緑編訳、ミネルヴァ書房、2009年。

ヴィクトリア朝ロンドンの下層社会 (MINERVA西洋史ライブラリー)

ヴィクトリア朝ロンドンの下層社会 (MINERVA西洋史ライブラリー)

 ヴィクトリア朝時代のジャーナリストのヘンリー・メイヒュー(1818–1887)は、1849年10月から1850年12月にかけて、『モーニング・クロニクル』誌(ホイッグ党系の新聞)に「首都圏の労働と貧民」に関する調査結果を寄稿しつつづけていた。それらは後に『ロンドンの労働とロンドンの貧民』(全4巻、1861–1862年)として出版されているが、本訳書はその中からいくつかの主題に関する記事を抜粋して、編集されたものである。
 「第4章 街の女になったお針子」(1849年11月20日付の記事)は、安物既製服のお針子(衣服の裁縫をおこなう女性労働者)たちがあまりに安い賃金で働かされ、苦しい生活を強いられていることを、彼女らへのインタビューを通じて明らかにした記事である。たとえば、夫もおらず、一人で幼子を育て上げる女性の話では、子どもに少しでも良い生活をさせてあげるために、泣く泣く救貧院へと連れて行ったことが詳しく、そして感情的に語られている。数人の女性のインタビューを紹介した後、メイヒューは彼女たちからの聞き取り内容をいくつかの観点からまとめている。すなわち、彼女らの年齢、夫や子どもの有無、給料、労働時間、職務内容そして売春経験の有無である。たとえば、インタビューされた女性の中で、売春をおこなったものは一人だけであったが、彼女らが口をそろえて言うには、彼女らお針子のうち四分の一が(もし、夫や親がいなければ半分が)生きていくために売春をおこなっているという。メイヒューはこういった女性たちの苦難を、ありのままに記事として執筆したのである。
 「第11章 ブレイスブリッジ・ヘミング「ロンドンの売春」」は、『ロンドンの労働とロンドンの貧民』に所収された「売春」という項目の訳出であり、イングランドにおける売春問題を中心に検討している。記事の冒頭では、まず、「〔イングランドでは〕人びとの権利や特権意識がきわめて頑強なために〔・・・〕立法府さえもそこ〔=売春問題〕へ踏みこんでいくことができない」とメイヒューは述べている。このことは売春婦の統制に国家的に取り組んでいるフランスとは対照的で、「誉れ高い自国がどのように統治されているかを意識するフランス人なら、かくも由々しい罪悪と悲惨〔=若年女性が売春をおこない、多くが性病に感染している事態〕を野放しにしているイギリス政府当局を非難するのは、当然であろう」と認めている。しかし、メイヒューはフランスの制度がうまくいっているからといって、習慣や気風の異なるイングランドで同様の制度をおこなっても必ずしも成功するとは限らないと続けている。かといって、メイヒューは売春問題を必要悪だとしたり、そのモラルを批判したりする論者たちの意見には与しない。むしろ、第4章でみられたような調査を踏まえながら、売春問題を女性の安価な労働賃金とその貧困から売春が余儀なくされるという事実があることを伝えようとするのであった。