病者を癒やすという「奇跡」をめぐるイエズス会と中国社会:Laven "The Role of Healing in the Jesuit Mission to China, 1582-1610"(2013)

 今週の金曜日に迫った、平岡隆二さんによる駒場科学史講演会「科学伝来――南蛮系宇宙論と近世日本」に少し関連させて、マテオ・リッチによる16–17世紀の中国へのミッションについて論じた文献を読みました。

駒場科学史講演会 「科学伝来 南蛮系宇宙論と近世日本」 - 駒場科学史研究会

Mary Laven, "The Role of Healing in the Jesuit Mission to China, 1582-1610," M. L. Stig Sørensen and K. Rebay-Salisbury, eds., Embodied Knowledge: Historical Perspectives on Belief and Technology, Oxford: Oxbow Books, 2013, pp. 67-76.

Embodied Knowledge: Historical Perspectives on Belief and Technology

Embodied Knowledge: Historical Perspectives on Belief and Technology


 本論文はマテオ・リッチ(1552–1610)による中国への宣教活動について、宣教師側の視点からその活動を捉えるのではなく、そういった活動が可能になった西洋と中国の社会的背景を考慮して考察をおこなっている。
 リッチは宣教をおこなうとき、理性・書物・科学という三本柱によって中国人たちをキリスト教徒へ転向させようとした。そのためにリッチは中国社会の習慣に自らを適応させ、中国において尊敬を集める有徳者であり知識人であるというステータスを獲得し、その実現をはかったのである。しかしながら、理性によって中国人を改宗させるという、リッチが最も強く信じていた方法によって、実際にクリスチャンとなった中国人はごく限られたものであった。たしかに、リッチが科学書を翻訳していたときに手伝った中国人は改宗するものもあらわれたが、その数はリッチの時代に改宗した中国人2000人の中ではごくわずかだったのである。その代わりに、中国人をキリスト教に最も向かわせたのは、神によって病気が治癒したという「奇跡」なのであった。
 ただし、奇跡に基づいた布教が可能となったのは、宣教師側および中国側の諸条件が重なっていたからであったと考えられる。宗教改革後のカソリックは、プロテスタントとの差別化のためにも神の「奇跡」に関する多くの逸話をつくりだした。とくに、イエズス会では日常の問題を解決する力を与えることに主眼が置かれていたため、病者の奇跡的な治療が宣教においても重視されることになる。一方の中国においては、宣教師たちが来る以前より、不治の病が治ったり、モノを金銀に変えたりする「奇跡」は道教儒教の間ではしばしば取り扱われるモチーフであった。そのためイエズス会士がおこなっていた奇跡を通じた人びとの救済は、容易に中国の文化に馴染みえたのであり、実際に多くの中国人がその奇跡にひかれて改宗したのであった。