帝国と植民地における順化への熱狂:Osborne "Acclimatizing the world"(2000)

 今週末に迫った生物学史研究会「漁業からみる帝国日本の内と外」に向けて、関連する文献を読みました。なお、研究会はどなたでも無料で参加できますので、お気軽にお越し下さい。

8月10日(土)「漁業からみる帝国日本の内と外」生物学史研究会

Michael A. Osborne, "Acclimatizing the world: a history of the paradigmatic colonial science," Osiris, 15, 2000, pp. 135-51.

 現代では「順化(acclimatization)」という言葉は呼吸生理学において主に使われるが、19世紀にはその言葉は今とは比べものにならないほど多様な文脈で使われていた。その言葉は、生理学という一専門分科においてのみ用いられただけでなく、農業とそれに伴う商業、野外スポーツ、健康問題、そして植民地経営と関連づけて使用されていたのである。もともと、その言葉がはじめて使用されたのは18世紀のフランスであり、そのときは外来の動植物を自国で生産することを夢見て用いられていた。しかし、1830年にフランスがアルジェリアを植民地とし、イギリスもまたインドやオーストラリアなどの植民地経営について考えるようになったとき、順化という概念が両国の帝国主義と関連させられて用いられるようになる。それは、1860年にあるフランスの植物学者が述べた、「植民地化のすべては、順化を幅広くおこなうことである」という言葉にもあらわれている。
 本論文はフランスとイギリス、そして両国の植民地であるアルジェリア、オーストラリアにおける「順化」をめぐる諸活動について検討している。フランスでは順化という概念はラマルク主義と関連させられるなどして、自然誌学者たちの間で多くの関心を集めていた。そして、1854年にはナポレオン3世からの支援のもと、順化動物学協会が設立されている。そのメンバーの中核には博物館の自然誌学者がいたが、それだけでなく外交官や外国政府の代表も参加し、会員数は2600人を超えていた。とくに、植民地アルジェリアの委員会は協会へ同地の農業や植民に関する情報を提供し、植民地の「実験室」として機能した。そのような活動を通じて、アルジェリアをフランスのようにすることが目指されたのである。
 一方のイギリスでは1860年に英国順化協会が設立されたが、そこでの活動はフランスとはかなり異なっていた。その協会の主目的は、ジェントルマンの野外スポーツ用に外国からの鳥や魚を順化させることにあったのである。同協会はときにはフランスの協会とも連絡を取りながら養魚に関する調査をおこなったが、結局、1867年に解散している。他方、その植民地オーストラリアでは、早くも18世紀の終わりにはスペインのメリノ種羊の順化が試みられていた。とりわけ、英国から同地へ移住したジョン・マッカーサーは英国からの羊毛需要をいち早く感知し、オーストラリアで羊毛産業を築き上げ、大成功をおさめた。それと同様の成功を目指し、1861年にはヴィクトリア州に順化協会が設立され、リャマやアルパカの順化が試みられることになる。この協会は州からの援助を得、とても期待されていたが、失敗に終わった。その後、同協会は王立メルボルン動物園へと吸収・改組され、順化事業はおこなわれなくなったのである。

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