オーラル・ヒストリーが明らかにする科学コミュニティのみえざるメンバーたち:Chowdhury "A Historian among Scientists"(2013)

 8月23日(金)に迫ったIsis Focus読書会に向けて、自分の担当箇所のレジュメをつくりました。今回の特集は「科学、歴史、そして近代インド」です。なお、読書会はどなたでも、(Google+を通じて)どこからでも参加可能ですので、参加希望の方は藤本にまでお気軽にご連絡ください。詳細は下記リンクをご覧ください。(最新情報はFacebookページの方により早く更新されます。)

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Indira Chowdhury, "A Historian among Scientists: Reflections on Archiving the History of Science in Postcolonial India," Isis, 104(2), 2013, pp. 371-380.
http://www.jstor.org/stable/10.1086/670944
※ 上記リンクから無料閲覧・DL可能

 植民地インドの科学研究所では、科学者の書翰やその機関の行政資料などのアーカイブズを収集してきた。独立後もそのような傾向は続いたが、最近になってオーラル・ヒストリーという資料への関心が集まってきている。もちろんオーラル・ヒストリー自体は新しい概念ではないが、インドの科学史においてはこれまであまり注意が払われてこなかった。というのも、それが文字が書けない人々による口碑(オーラル・トラディション)と混同され、科学者という知識人階級の歴史叙述にはそれが馴染まないと考えられていたからである。そこで本論文は、オーラル・ヒストリーという方法論自体を最初に詳しく検討することで、それにより科学史の新たな研究領域を提示することを試みている。
 まず、オーラル・ヒストリーに対する誤った考えが正される。すなわち、オーラル・ヒストリーにおけるインタビューとは、ある特定のアジェンダのために情報や事実を収集するためのものではなく、ある出来事に対するインタビューされる側の価値づけを明らかにするためのものなのである。さらにアレッサンドロ・ポルテッリの言葉を借りれば、インタビューとは「個人の生活と個人を超えた歴史との関係性」を描き出すことに他ならない。たとえば、インドのタタ基礎研究機関(TIFR)の科学者としてキャリアをスタートさせ、のちに宇宙応用センターの設立に尽力したヤシュパルへのインタビューからは、1947年の印パ独立分離に対するトラウマという個人レベルの経験、そして、デリー大学と東パンジャブ大学の物理学部の共同といった機関レベルの経験などが彼の研究者としての生活を形作っていることがわかる。そして、このインタビューは単なる情報の聞き取りという形であってはならず、インタビューをされる側とする側の対話によって進められるべきものなのである。
 それでは、オーラル・ヒストリーは科学史にどのような新視角をもたらすのか。アメリカの科学史家R.E.ドエルによれば、オーラル・ヒストリーによってこれまで伝統的に見えなかった科学コミュニティのメンバーに光を当てることができるという。本論文の著者も関係するTIFRのアーカイブズからそのメンバーの具体例をあげると、実験助手やガラス吹き工、掃除人たちである。なかでもガラス吹き工へのインタビューからは、TIFRという科学コミュニティにおいて、彼らの重要性が低下していくというミクロ・ヒストリーが示される。すなわち、1960年代まではTIFRの地球物理学や分子生物学などの部門からガラスの需要があったが、それら部門が別の地へ移管されたり、ガラスがプラスチックに取って代わられるようになったりしたことで、ガラス吹き工の役割が小さくなっていくのであった。科学史において無視されてきたこのような科学労働者たちの存在は、今後、研究機関などのアーカイブズにオーラル・ヒストリーを加えることでさらに明らかになっていくことだろう。

関連エントリ・リンク

・Archives of the Tata Institute of Fundamental Research (TIFR)

http://www.tifr.res.in/~archives/