幕末における庶民から為政者への情報提供:守友隆「幕末期の国内政治情報と北部九州」(2010)

 とある研究会の参考文献として、近世日本の政治史に関する文献を読みました。

守友隆「幕末期の国内政治情報と北部九州――筑前国黒崎桜屋豊前国小倉村屋の「注進」行為について」『交通史研究』72、2010年、25–53頁。

 近世期に庶民がおこなっていた情報活動を検討した研究は多いが、そこでの情報は庶民間を出回っていたもの、あるいは、為政者から庶民に対して伝えられたものが主として注目されてきた。つまり、庶民が集めた情報がいかに為政者たちに活用されていたかを検討した研究は少ない。そこで、本論文は北部九州の二つの家に注目し、それらの家が藩に重要な政治情報を提供、すなわち「注進」をおこなっており、藩もまたそういった情報に多くの期待を寄せていたことを明らかにしている。そうすることで著者は、幕末期の庶民が、為政者が独占・操作していた情報から自由になり、主体的に情報を収集していた可能性を示そうとしている。
 本論考が注目するのは、筑前国黒崎宿(福岡藩黒田領)で駕篭屋・宿庄屋・船庄屋をつとめた古海家と、豊前国小倉城下でトップクラスの商家であった村上家である。たとえば古海家では、鳥羽・伏見の戦いに関する情報を、薩摩藩の御用達としてのコネクションを活かし、薩摩藩士から聞き出している。そのさい、情報を受動的に受け取っていたわけではなく、事の経緯を自ら積極的に尋ねるなどして、そこで知った内容を慶応4(1868)年に平戸藩へ注進している。一方の村上家では、たとえば、万延元(1860)年に桜田門外の変について得た情報を薩摩藩の御趣法方金方役に注進している。これは薩摩藩が知った桜田門外の変に関する第一報となったが、それを受けて、参勤途上にあった藩主は急遽参勤を中止し、薩摩へと引き返したのであった。このように、庶民の情報は藩の政治的判断にも大きく貢献していた。なお、古海家・村上家の両ケースにおいて、自らのいる福岡藩小倉藩に対する注進は役儀の一環であると捉えられていた。一方で、御用達の関係にあった薩摩藩などへの注進はあくまでサービスに過ぎず、そうすることで薩摩藩などとの関係強化をねらったと推測される。

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