藩による自然資源の利用と地域住民:町田哲「近世後期における徳島藩の御林と請負」(2013)

 とある研究会の参考文献として、近世日本の環境史・地域史に関する文献を読みました。

町田哲「近世後期における徳島藩の御林と請負――那賀川中流域を事例に」『鳴門史学』26、2013年、49–83頁。

 昨今の環境史的アプローチの広がりもあり、近世日本史研究では、山野河海の自然資源を人びとがいかに活用してきたかについての歴史研究が進展しつつある。本論文は、近世後期における徳島藩領内の御林について、藩がそれをいかに支配していたかを近世前期の対応と比較しながら分析している。それを通じて、領内に複数ある御林の間の共通する利用形態を指摘すると同時に、それぞれの御林がもつ歴史的背景がその利用のされ方を規定することもあったことを明らかにしてる。
 徳島藩で伐出の対象となった御林は、時代が下るにつれて広範囲化していくが、本論考では近世初頭からある御林A、17世紀後半に新林となった御林B、遅くとも18世紀半ばに利用されはじめ、集落近くに所在していた御林Cの三つが検討される。17世紀初頭以来、徳島藩では領内にある御林は藩邸建材や水軍船材の供給源として期待されていた。そのため、御林が地域の百姓の利益となってしまうことを強く禁じており、御林番人として百姓を取り立てることで、その管理を厳重化していた。しかしながら、18世紀後半になると藩政改革と相まって、藩が御林に期待する役割は変わっていく。すなわち、御林を通じて、民衆から運上銀を上納させようとするようにある。藩は地域住民に運上銀を上納させる代わりに、薪炭材生産に伴う一定範囲の用益を地元の人びとに許可するようになったのである。
 こういった御林の利用形態については、それぞれに共通する請負制度が多く確認できるが、むしろ注目すべきはそれらの間にある微妙な差異であろう。というのも、御林Cは集落近くにあり、開発も他の御林に比べて進められたことから、御林A・Bとはやや異なった請負がおこなわれたのであった。すなわち、御林Aでは元の請負が遠方の請負に権利を転売するなどが頻発していたが、御林Cではあくまで地元の百姓による小規模な請負がおこなわれたのである。こうした請負の形態がとられたのは、御林Cによる受益を地元の村が長らく受けていたこと、そして、その地域で材木・薪炭需要が高まっていたことが背景にあったと考えられる。このように、同じ時期の自然資源の利用に際しても、その資源がどこにあったか、どのような歴史的背景をもつかによって、請負の制度が異なりうることがわかる。

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