医療マーケット上での競争力向上を目指す在村医:Burns "Nanayama Jundô at Work"(2008)

Susan Burns, "Nanayama Jundô at Work: A Village Doctor and Medical Knowledge in Nineteenth Century Japan," East Asian Science, Medicine, and Technology, 29, 2008, pp. 62–83.
http://home.uchicago.edu/~slburns/page1/page1.html
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 近世日本の医療史研究では、江戸時代に地域レベルで活躍した在村医たちに関する研究が多くなされてきた。一方で、そういった地域医療をいかに捉えるかについての理論的な枠組みが議論されることはあまりなかった。本論文は、19世紀半ばに出羽国湯沢で活躍した在村医・七山順道(1818–1868)の蔵書および診療録の分析を通じて、医師が医療マーケットのなかで自らの地位を高めよう主体であったことを占めそうとしている。
 順道が残した診療録は必ずしも日常的に記されているわけではなく、それが書かれていた動機は定かではない。そこで著者は、それが記された理由として、順道が医師としての競争力を高めるために記録を残したのではないかと推測する。この時代の患者は医師を主体的に選択し、気に入らなければすぐに変えていた。つまり、医療マーケットには医師があふれていたと言える。そのような事態は順道の診療記録にもみてとれ、そこには庄蔵という商人が3週間で4度も医師を変えていることが記されている。庄蔵は、最初に元仲という医師へ、その次に順道へ、そして三益という医師へ、最後にまた順道へと診療・処方を求めた。最初の三回で一般的な漢方医学の処方が一通りなされたが、いずれも効果がなく庄蔵は衰弱していった。そんな中、庄蔵が二度目に順道の元を訪れたとき、順道は庄蔵に対して漢方医学ではない、彼オリジナルの処方をおこなった。つまり、順道はある種の「実験」をおこなったのである。事実、彼の診療録には、そういった「実験」に類する記述は他にもみっとれる。このことから著者は、医師が多くいる医療マーケットにおいて、順道は自らの競争上の優位を見いだすためにも、そういった試みをおこない、そういった結果をしっかりと記録していたのではないかと議論するのであった。そのことはまた、彼が当時世に広まっていた著名な医学書を、地域の医師ネットワークを駆使して、収集しようと腐心していた姿にもみてとれるのであった。

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