「緒方洪庵・適塾と近世大坂の学知」大阪大学総合学術博物館・大阪大学適塾記念センター

 大阪大学総合学術博物館と大阪大学適塾記念センターの共催による特別展「緒方洪庵適塾と近世大坂の学知」を観覧してきました。適塾記念センターは、福沢諭吉など、著名な門人を生み出した蘭学塾・適塾とそれを主催した緒方洪庵に関する資料保存・収集・公開をおこなう研究機関です。とても素晴らしい展示だったので、以下で紹介を。なお、この場を借りて、ご多忙中にもかかわらず展示の解説をしていただいた廣川和花先生に御礼申し上げます。

大阪大学総合学術博物館第6回特別展「緒方洪庵適塾と近世大坂の学知」2013年10月29日〜12月27日、於:大阪大学総合学術博物館待兼山修学館。
HP:http://www.tekijuku.osaka-u.ac.jp/event/event/sp_event


 今回の特別展は3つのパートによって構成されていましたが、そのハイライトは「II 近世大坂の学知と適塾」のコーナーでしょう。適塾記念センターという場所柄、どうしても展示の中心が適塾となりがちですが、今回の展示では同時代の大坂で隆盛をきわめた他の学統へ着目を通じて、それらとの関係性のなかで適塾を捉えることが試みられています。たとえば、官許を得て、享保9(1724)年に町人のために設立された学問所・懐徳堂や、外科医・華岡青洲(1760–1835)による漢方医学塾・合水堂と適塾の関係が注目されます。とくに合水堂は、当時の大坂で最も人気のあった医学塾であったこともあり、適塾門人である福沢諭吉(1835–1901)はそれへのライバル心をむき出しにしており、彼が『福翁自伝』(1899年)に書き残した痛烈な批判は有名です。しかしながら、このことをもって漢方医学蘭方医学という構図を当時の医学の状況に投影してしまうのは早計であるということを、今回の展示は教えてくれます。たとえば、洪庵自身は青洲に治療について助言を求めていたことが、彼の日記の中に記されています。また、展示されている適塾と合水堂の門人帳を比較すれば明らかなように、橋本左内佐野常民など、両者に弟子入りしている者が少なからずみられるのです。以上より、江戸時代医学の中心地と言われる大坂は、このような良きライバル関係の上に成り立っていたと言えるでしょう。本パートは、合水堂へ着目することによって、結果的に適塾が当時置かれていた学問状況を立体的に示すことに成功しているのでした。
 もちろん、「I 緒方洪庵の学問形成」および「III 西洋医学の導入と蘭画」もまた、日本学士院などから借りた基礎史料を用いることで、充実した展示となっていました。前者については、従来は日本最初の病理学書『病学通論』などの著作群が注目されがちでしたが、本展では彼がそれらを生み出すに至るまでの学問形成過程を詳しく追います。すなわち、彼の最初の師である大坂・中天游(1787–1835)のもとでの修行、江戸の坪井信道(1795–1848)および宇田川玄真(1770–1835)のもとへの遊学、そして長崎遊学です。そういった過程を書状などの史料を用いながら示すことで、彼の学問形成を跡付けられています。後者については、洪庵と西洋医学の祖・ヒポクラテスとの遠いようで近い関係性が示されます。洋画家・石川大浪(1765–1817)が寛政11(1799)年に日本ではじめてヒポクラテス像を模写したことにより、蘭医たちによってその図像に賛をつけることが流行します。医祖賛と言われるこの書は、洪庵の師である坪井信道も記しており、洪庵もまた同じモチーフの書写をおこなったのでした。ここからは、文人としての洪庵の活動もうかがい知ることができるのでした。
 限られたスペースでありながらも、本展の充実ぶりは以上の記述からも明らかでしょう。さらに、展示室前で配布されている、展示された書状の翻刻史料と詳細な文献リストが記された参考資料は、この分野に関心をもつ歴史研究者を十分に満足させるものでしょう。展示内容がややテクニカルな部分もありますが、その点については隣の展示室で上映されている映画「洪庵と1000人の若ものたち」(1963年、木村荘十二監督)が十二分に補完してくれるはずです。それは洪庵没後100周年を記念してつくられた顕彰映画で、緒方洪庵とその門人たちが学問に情熱を注ぎ込んでいる様子が活き活きと描き出されています。たとえば、劇中で描かれている徹夜で洋書を筆写する様子は、本展に示された資料から実際に確認でき、映画と展示のシンクロを楽しむことができるでしょう。これ以外にも多くの見所がありますので、お近くの方は是非一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

関連文献

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