16世紀イタリアの大学における医学と哲学の関係:Schmitt "Aristotle among the physicians" (1985)

 とある初期近代医学思想史の授業のアサインメントとして、アリストテレス研究の泰斗チャールズ・シュミットがルネサンス期の医学と哲学の関係について論じた文献を読みました。

Charles B. Schmitt, "Aristotle among the physicians," in A. Wear, R.K. French and I.M. Lonie, eds., The Medical Renaissance of the Sixteenth Century, Cambridge: Cambridge University Press, 1985, pp. 1–15; 271–279.

The Medical Renaissance of the Sixteenth Century

The Medical Renaissance of the Sixteenth Century

 ルネサンス期イタリアの大学に関する研究では、大学カリキュラムの医学と哲学を別々に捉える見方が支配的であった。しかし本論文は、当時、両者が密接に関わり合っていたことを示すために、16世紀イタリアの哲学者や医師たちにとって、医学と哲学との関係性がいかに語られていたかに着目する。そのような関係性を明示的に論じた者はあまり多くないが、著者はアリストテレスのテクストに対する注釈書に注目することで、イタリアの大学の医学教育の場でそのテクストが医学と哲学という分野をつなぐインターフェイスとして機能したということを議論している。
 本論文が主たる考察の対象とするのは16世紀イタリアの大学であるが、そこでの医学と哲学の関係に関する見方は前時代のものが引き継がれていたと言って良い。ガレノスの『最良の医師は哲学者でもあること Quod optimus medicus sit quoque philosophus』という著作のタイトルにあらわれているように、古代から哲学は医学教育および医学実践の場において重要な役割を果たすと認識されていた。アレクサンドリアの哲学者、およびアヴィセンナやアヴェロスもまた、細かい点での相違点はありながら、そういった見方を受け継いだ。中世イタリアの大学でもその発想は継承され、イタリアの大学特有の考えも生まれた。たとえば、アバノのピエトロ(Pietro d'Abano; 1257–1315)は、論理学・自然哲学・占星術という三つの学問分野が、医学研究にとって重要であるという見方を提示している。こういった考えは16世紀イタリアの大学にも引き継がれていく。
 では、ルネサンス期のイタリアの大学において、医学と哲学の関係性はどのような制度上の位置づけにあり、その関係が大学の哲学者や医師によって語られたのだろうか。前者については、カリキュラムなどをみると、哲学で予備的かつ重要な基礎をつくり、次に発展的な医学の勉強がおこなわれていたことがわかる。また、理論は実践に優越するという発想が共有されながらも、哲学者の社会的・経済的地位は医師より低かった。このことは、論理学者から自然哲学者、そして医師へと昇進してく大学でのキャリアパスにもみてとれる。一方後者については、大学の哲学者たちは明示的に医学と哲学の関係性を語ることをしなかった。というのも、両者の密接な関係性は2世紀前にピエトロが既に述べており、わざわざ繰り返すまでもない大前提として共有されていたからである。たとえば、哲学者であり医者あったニフォ(Agosino Nifo; 1469/70–1538)は、イタリアの医学教育で主力となったアリストテレスの著作の注釈書を出しているが、そこには哲学と医学との関係性を論じた箇所はほとんどない。
 もちろん、16世紀のイタリア哲学者のすべてが医学と哲学の関係性について黙っていたわけではない。たとえば、アリストテレス主義哲学者のザバレッラ(Jacopo Zabarella; 1533–1589)は、医学自体については語ってはいないが、その自然哲学や論理学の著作のおいて、自然哲学と論理学がどう医学に関わるかを示そうと意識して書いている。彼もまた、伝統的な「自然哲学者でなくして、良い医師にはなれない」という考えをもっており、医学は論理学と自然哲学の哲学諸分野に従属するという発想をもっていた。また、アリストテレスの動物学研究に含まれる情報が医学の予備的・基礎的な知識という立場に立っていたため、学ぶべきアリストテレスの著作は、動物の外見上の知識が記された『動物誌 De historia animalium』より、部位の機能や目的が記された『動物部分論 De Partibus Animalium』であると考えた。このように、ザバレッラは同時代のどの哲学者よりも、自分が医学部の教師であることに意識的であり、医者からの需要にも意識的であったため、他の人が明示的に語らなかった医学と哲学との関係性について議論したのであった。
 それでは、ザバレッラが多く引用し、16世紀イタリアの医学教育で主たるテキストであったアリストテレスの著作では、医学はどのような位置を与えられているのだろうか。実のところ、アリストテレス自身が医学について言及している残存資料は多くない。たとえば、『自然学小論集 Parva Naturalia』に所収された「健康と病気について De Sanitate et Morbo」などで、医学と哲学の有益な関係性を認められる程度である。そういった数少ない言及の中で、ルネサンス期に医者や哲学者によって注釈が付された二つのテキストがある。すなわち、『自然学小論集 Parva Naturalia』に所収された「感覚と感覚されるものについて(感覚論) De Sensu et Sensato」(参考1)と「呼吸について De Respiratione」(参考2)に記された二節である。前者からは、たとえばシモーニ(Simone Simoni; 1532–1602)らによって、病気と健康という主題は自然哲学者と無縁なものではないという議論が引き出された。彼はさらに「自然哲学者〔の仕事・役割〕が終われば、医師〔の仕事・役割〕がはじまる」という文章を残し、その言葉はのちの医学書でも決まり文句のようにしてしばしば用いられるようになる。一方の後者は、自然哲学者に従属するとされる医師に譲歩した記述であるようにみえ、先のシモーニの言葉と重なって捉えられた。こうして、16世紀の哲学者・医師たちの間で、論理学と自然哲学は医学教育のために必須の準備科目であると考えられるようになった。16世紀イタリアの大学の哲学者は、哲学を独立した学問領域であるとしばしば述べていたが、実のところ、その学問が医学と密接な関係にあるとも考えていたのであった。

参考資料

・参考1(『アリストテレス全集 6 霊魂論・自然学小論集・気息について』山本光雄・副島民雄訳、岩波書店、1968年、182頁。)

 また健康と病気についてその第一原理を調べることもまた自然学者の仕事である。というのは健康も病気も生命を欠くものに生ずることはできないからである。この故に自然について研究する者のうちのほとんど大部分の人たちや、医者のうちその術を一層学問的に研究する人たちは、前者はその研究の終りにおいて医術に関する事柄に到着するし、後者は自然に関する研究を基礎として〔医術に関する研究を:訳者注、以下同〕始めるのである。

・参考2(同上、328–329頁。)

 さてこのようにして生命と死とおよびこれに関連する事がらに関する問題はほとんどその全部について述べられた。だが健康と病気とに関する問題は単に医者の〔関心〕事であるのみならず、その原因を語るかぎりにおいて自然学者の〔関心〕事でもある。してこの二者が如何〔なる程度〕に異なっているか、ならびに如何〔なる程度〕に異なるところの問題を観極めようとするのであるかということを、われわれは見逃してはならぬ。というのは事実の証するところでは、両者の仕事は少なくとも或る程度までは範囲を同じくするからである。なぜなら医者のうち練達にして探求心深い者は自然について何かを語り、かつそこから彼らの原理〔たる根源〕を取り出すことを要求し、自然について研究する者のうち、もっともすぐれた者はほとんど医術の原理において〔その研究を〕おわるからである。