医療宣教における朝鮮人「伝導婦人」の活用:入江友佳子「1910年代朝鮮のセブランス病院における出産・育児に関する医療宣教活動」(2010)

入江友佳子「1910年代朝鮮のセブランス病院における出産・育児に関する医療宣教活動――「伝道婦人」の存在に着目して」『日本の教育史学 教育史学会紀要』53、2010年、69–81頁。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110009554133
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 1920年代の朝鮮では、ミッション系の病院を中心として、母子保健事業が広がっていった。そういった事業の広がりの前提となったのは、1910年代に出産・育児に関する西洋的な知識が、ミッション系病院の医師・看護婦たちによって普及していったことがあげられる。その際、地方の朝鮮人に近代的な知識を伝達をする役割を担ったのが、朝鮮人の「伝道婦人(Bible Women)」たちであった。彼女らは、自らの手による資料を残していないため、先行研究ではその存在が注目されることはほとんどなかった。それに対し本論文は、彼女らを活用した宣教師たちの記録から、伝道婦人たちの記述を抽出することで、彼女らが果たした役割を明らかにしようとしている。
 朝鮮内部で伝道を推し進めていく上で、伝道婦人への期待が高まったのは1910年代半ばであった。1904年にミッション系の病院であるセブランス病院(Severance Hospital)が設立され、医療活動を続けていた宣教団であったが、日韓併合を受けて、日本の朝鮮での医療活動に対抗意識を顕在化させていった。そんな中、1916年には「朝鮮医療宣教師協会(Korea Medical Missionary Association)」に乳児健康事業を促進するための特別委員会が設置されるなど、ミッションは乳幼児・母親に関する事業を推し進めていくことになる。
 地域の人々の啓蒙を試みる際、第一にその担い手として期待されたのは朝鮮人看護婦であった。しかしながら、セブランス病院で既に1905年に看護婦養成所がつくられていたにもかかわらず、1920年代までに卒業生は40人に満たないなど、その人員が圧倒的に不足していた。そこで次に白羽の矢が立ったのが伝道婦人たちであった。彼女らは教会や聖書公会、病院などの組織に雇われたり、宣教師といった個人に雇われた朝鮮人女性であり、その多くは寡婦や独身女性、子どものいない既婚女性であった。その数は1910年代のアメリカ北長老教会では実に150〜200人にものぼっていた。
 伝道婦人たちの役割は、まず西洋人看護婦の通訳をおこなうことであった。しかし、伝道婦人たちは自ら主体的に患者の元へと足を運び、信者獲得を目指した。たとえば、朝鮮に伝わる風習のために、病気になった赤子を医者に診せないようなケースに接したとき、西洋人看護婦のみではその家族の説得が難しかったが、伝道婦人は朝鮮人家族に近代的な医学知識を知らせる媒介者となったのである。
 もちろん、伝道婦人は必ずしもいつも雇用者たちの期待通りの仕事をこなしてたわけではない。しかしながら、宣教師たちはそういった失敗を意図的に自らの利益となるよう利用した。たとえば、セブランス病院の研究部では乳児死亡率の調査をおこなっており、伝道婦人に朝鮮人女性への聞き取りをおこなわせることでデータを収集していた。その際、朝鮮人女性は年齢を朝鮮の慣習に従って数え年でカウントしてしまったり、乳児の死因として定義の曖昧な「痙攣」を多く計上してしまうなど、そのデータには多くの不備が生じた。しかし、それをまとめあげた研究部の責任者は、乳児死亡率が高いというデータへと修正し、そのことから母子事業の拡大を正当化しようと試みたのである。こうして、次の10年にはその事業が本格的に広がっていくことになるのであった。