デカルトにおける形而上学と医学の関係:山田弘明「デカルトと医学」(2004)

 とある初期近代医学思想史の授業のアサインメントとして、「デカルト医学」について論じた文献を読みました。なお、デカルトの医学思想の集大成として、『人体の記述 La description du corps humaine』(1648年)がその晩年に記されていますが、本論文にはその序文の初めての邦訳が所収されています(30–33頁)。

山田弘明デカルトと医学」『名古屋大学文学部研究論集 哲学』50、2004年、1–39頁。
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/handle/2237/9177
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 本論文は、デカルト(René Descartes; 1596–1650)の生涯のなかで、医学的な主題にいつどのような関心が寄せられ、その探究が進められたかについて通時的な考察をおこなったものである。著者はデカルトによる医学の探究を「デカルト医学」と呼び、彼が生理学・病理学・解剖学・胎生学・血液循環論や健康医学(長寿法・健康法)・治療医学・精神衛生学について何を語ったかを、3つの時期に分けて検討している。その分析を通じて著者は、彼の医学的探究は彼の独自の形而上学の構築に貢献し、同時に、そういった形而上学的探究が前時代とは異なる新たな医学思想の誕生へとつながったと論じている。
 第一の時期は、生誕から『解剖学概要』まで、すなわち1596年から1631年頃までの期間である。デカルトが学問としての医学に初めて触れたのはポアチエ大学で法律を学んでいた1614年頃であったと考えられる。1619年から1621年頃に書かれた『思索私記』では、心身の病いに関するはじめての記述がみてとれる。このとき、デカルトは身体の病いよりも精神の病いに強い関心をもっていることがわかる。デカルトが本格的に医学的探究にとりかかるのは1629年になってからで、このとき彼はそれまでの形而上学的な探究をいったんおき、自然学ひいては解剖学への関心を強めている。なお、1628年にはハーヴィの『心臓の運動』が出版されているが、そのことがデカルトの医学的関心を強めたというわけではなかったようである。デカルトが解剖学に興味をもったのは、「自然の全現象をつまり全自然学を説明」(メルセンヌ宛書簡より)するため、すなわち、自然を体系的に研究するという目的のためであった。早くもこの時期のデカルトは、身体などの医学的問題を機械論的観点から議論しようと試みている。デカルトヴェサリウスなどの医学書によく学んでいたが、彼のアリストテレス的な目的論に基づく医学的探究は否定し、哲学的主題と医学的主題を区別する必要性を主張した。そういった彼の医学思想を最もよく示すのが、『動物発生論』と『解剖学概要』であり、このときには実際に何か役に立つような医学、すなわち治療医学が探究されている。
 第二の時期は、『人間論 L'Homme』から『方法序説 Discours de la méthode』まで、すなわち1632年から1639年頃までの期間である。1632年の暮れに書かれた『人間論』の草稿には、ハーヴィの『心臓の運動』を読んだことが述べられている。デカルトはその著作における心臓の運動に関する議論には最大の賛辞を送る一方で、運動の原因については意見を異にすると述べた。すなわち、ハーヴィは運動の原因にアリストテレス的な「隠れた力」を想定していることに対し、デカルトはそういった力を想定せず、心臓内部の熱によって説明しようとした。結局、正しさで言えばハーヴィ説に軍配があがったが、デカルト機械的にその原因を捉えようという姿勢を一貫してもっていたのである。その後、デカルトの解剖学・生理学研究の総決算である『人間論』では、「私は身体を〔…〕機械にほかならないと想定する」と宣言している。なお、ここでの機械論的に説明するということは、『世界論 Le Monde』(1630–1633年)において自然法則を微粒子の形と運動によって説明したように、人体の仕組みもそれらと同じ原理で説明することを試みるものである。この時期のデカルトは、また別の医学的話題、すなわち「健康の維持」に対して新たな関心をもつようになっている。たとえば、『方法序説』(1637年)では、単に病気を治すことだけでなく、機械論的な身体観に基づいて病気の原因を探ることが医学の効用であり、そういった効用を人々が軽視し過ぎていると苦言を呈している。
 第三の時期は、『省察 Meditationes de prima philosophia』から『情念論 Les passions de l'ame』まで、すなわち1640年から1649年までの期間である。この時期の書簡をみてみると、デカルトがしばしば解剖を話題を取り上げていることがわかる。つまり、『省察』の形而上学の部分を書く作業と、解剖学的探究は同時に進められていたのである。そこで問題となるのは、デカルト形而上学と医学がどう関わっているかについてであろう。確かに、デカルトは医学の理論は疑わしいものとして看破しているが、医学が実生活にもたらす有益さは認めている。その意味で、両者は学問上はある程度は相互浸透していたと考えられる。一方では、医学的探究によって得られたデータが、「哲学の樹」の基礎学たる形而上学の支えになったと考えられるだろう。もう一方では、彼が独自の形而上学的探究をおこなったために、ヴェサリウスやハーヴィがもっていた旧来の医学思想を打ち破ることが可能になったとも考えられる。つまり、アリストテレス的な形而上学に基づく医学思想ではなく、機械論的な身体観に基づく医学思想を提出したのである。以上から、デカルトにとって形而上学と自然学は相互補完的な関係にあったのである。