馬場わかな「社会国家と家族――1890年代〜1920年代のドイツにおける在宅看護・家事援助 (Hauspflege)を事例として」経済史研究会(2013年12月16日、於:東京大学大学院経済学研究科)

 馬場わかな氏(日本学術振興会特別研究員)による、以下の研究会を聴講しましたので、簡単にその報告記を。

馬場わかな「社会国家と家族――1890年代〜1920年代のドイツにおける在宅看護・家事援助 (Hauspflege)を事例として」経済史研究会、2013年12月16日、於:東京大学大学院経済学研究科学術交流棟(小島ホール)。
http://www.cirje.e.u-tokyo.ac.jp/research/workshops/history/history.html

 本報告は、1890年代〜1920年代のドイツ・ハンブルクにおける母親の労働問題について、国・自治体および民間による対応を検討したものでした。第二帝政期(1871–1918年)では、稼得労働をおこなう女性以外には社会保険は適用されませんでした。その代わりに、とくに出産・産褥期の母親の「在宅看護・家事援助」をおこなう民間ネットワークが1890年代よりつくられていきます。ハンブルクでも同様の支援団体がつくられており、自治体と地元企業などと連携をとりつつ、母親への扶助がおこなわれました。ハンブルクで主な支援対象となった母親とは、工業化に伴ってその都市にやって来た、近隣住民とのつながりをもたない人たちでした。そういった女性たちに、階層の低い、年配の近隣住民が協会の「扶助員」としてケア・サービスを提供したのでした。しかし、第一次大戦後、景気後退および会員数の減少によりその協会は1923年に解散してしまいます。ただし、それと代わるように1924年に「ライヒ扶助義務令」が制定され、稼得労働をおこなう男性、主婦として働く女性という規範化がなされ、そういった男女への扶助が制度化されました。すなわち、ヴァイマル期(1919–1933年)には、かつて稼得労働をする女性だけであった公的な扶助がなくなり、男は外で働き、女は家事をおこなうという家族規範を掲げる社会国家が形成されていったのでした。