初期近代における馬のための医療:Curth "The Care of the Brute Beast"(2002)

 新年あけましておめでとうございます。2014年は午年ということにちなんで、初期近代における馬への医学に関する論文を読みました。これは10年程前に著されたものですが、著者はこのテーマについて最近単著を出したので、そちらもあわせて読んでおきたいものです。

Louise Hill Curth, "The Care of the Brute Beast: Animals and the Seventeenth-Century Medical Marketplace," Social History of Medicine, 15, 2002, p. 375–392.

 イギリスの医学史家ロイ・ポーターは1993年に獣医学史を探究する必要性を主張したが、依然として人間への医学の歴史研究が多い一方で、動物への医学に関する研究は少ないままである。もちろん、これまでに獣医学史がなかったわけではないが、そのほとんどが1791年にロンドン獣医学校が設立されて以降、すなわち近代的獣医学の歴史に関心を集中させてきた。そのため、それより前の獣医学史がほとんど顧みられてこなかった。しかしながら、健康な家畜は商品としての経済的価値があるため、当然ながら、その所有者にとって家畜の健康維持は死活問題であった。そこで本論文は、馬をはじめとする家畜に対してその所有者がいかにして医療を提供したかについて、様々なタイプの医療実践者の活動に注目することで明らかにしようとしている。
 イギリスでは家畜の階層が想定されており、馬や牛が上位に、豚や羊などが下位に位置付けられていた。そのため、この時代の獣医学は馬を主たる対象としており、それに関する著作は家畜一般を扱いながらもタイトルには馬という文字が冠されることがしばしばであった。そういった獣医学書では、病気の治療よりは家畜の健康維持を主眼とした記述がなされていた。また、アラビアを経由したガレノス医学に基づき、その重要概念である6つの「非自然要素(non-naturals)」に即した説明が記されていた。たとえば、人間と同様に体液説に基づいた動物の病気の説明がおこなわれたり、節度ある運動・睡眠・食事などを推奨する文章が書かれている。
 当時のイギリスの医療マーケットは、正統な医師だけでなくニセ医者や薬売り、さらには祈祷師や産婆などの様々なアクターによって構成されていた。一方、獣医マーケットを構成していたのは、蹄鉄工や馬医師あるいは個々の家畜を専門とする医師たちであった。その市場のなかで最も大きな力をもっていたのが、1356年のロンドンで設立された「蹄鉄工会社(Company of Farriers)」である。この組織は「内科医協会(College of Physicians)」と同じようなエリート組織で、徒弟制度のもとで7年間の訓練を受けた限られた蹄鉄工だけが参加を許されたものであった。1674年時点でその会員はわずか40名であり、同時期の内科医協会と同数程度の会員数である。一方、蹄鉄工のギルドより低くみられたのが馬医師を自称する者たちであった。彼らは体系的な知識を身に付けることはなかったが、その数は非常に多く、田舎ではかなり支配的であった。馬医師たちの具体的な実践内容は間接的にしかわからないが、おおむね蹄鉄工が提供したものと同じようなものであったと考えられる。
 このようにして、家畜の所有者はその健康そして経済的価値を維持するために、蹄鉄工や馬医師などに頼っていた。しかし、彼らの提供する医療は往々にして法外な値段であったこと、またその治療効果が疑わしかったことから、所有者はしばしば独力で家畜に対応しようとした。事実、家畜の所有者たちは口伝あるいは手稿や印刷物をまとめたものを通じて、初歩レベルの獣医の知識を身に付けていた。たとえば、Markhamという人物はそういった家畜所有者のために、過去の動物に対する医学知識をまとめたが、その著作は彼の死後も再版を繰り返すほどであった。一方で、主に家庭の女性を読者として想定したレシピ本は、人間のための食品や薬に関する記述がメインであったが、馬や牛といった家畜のための薬についても記されており、家畜所有者はそこからも知識を吸収したのであった。

関連文献

A Plaine and Easie Waie to Remedie a Horse: Equine Medicine in Early Modern England (History of Science and Medicine Library)

A Plaine and Easie Waie to Remedie a Horse: Equine Medicine in Early Modern England (History of Science and Medicine Library)

特に、本書所収のRoy Porter "Man, Animals and Medicine at the Time of the Founding of the Royal Vaterinary College"(pp. 19–30)。


Veterinary Medicine: An Illustrated History, 1e

Veterinary Medicine: An Illustrated History, 1e