宗教の内面性・主体性から社会性へ:赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(2013)#1

 無教会キリスト教に注目して近代宗教について捉え返そうとした、赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』を読みました。まずは「はじめに」、「序章 無教会キリスト教とは何か」、「終章 「紙上の教会」の日本近代」を中心に、全体を簡単に要約した読書メモを。なお、第一・二・三章については、別途まとめてあります。

赤江達也『「紙上の教会」と日本近代――無教会キリスト教の歴史社会学岩波書店、2013年。

 しばしば「日本的キリスト教」と称される無教会キリスト教内村鑑三にはじまり、矢内原忠雄南原繁などが信仰したこの無教会思想・運動は、個人主義的・実存主義的な志向をもち、教会の制度的な権威を相対化することを目指していたと捉えられてきた。その思想は、内村などの先生が弟子たちに対して聖書講義をおこなう集会において養われ、同時に、先生が発刊した雑誌を通じて人々に広げられた。このとき、無教会に関する先行研究では、無教会運動の中心的な社会基盤は集会であり、雑誌はあくまで副次的なものであると評価されている。
 そのため、これまでは先生の思想と集会ばかりが注目され、雑誌メディアが検討されることはほとんどなかった。このことは、19世紀末に端を発する宗教観、すなわち、宗教を個人の主体性や普遍的超越性から捉える見方が支配的であったことに由来している。このプロテスタント中心主義的、信仰中心主義的な見方は、日本近代宗教史でもしばしば採用される宗教観でもある。そのため、このような視点にたった先行研究は、主体レベルに着目して宗教を捉えることに終始し、その社会的な次元への着目をおそろかにしてきてしまったのである。これまでの無教会研究が内村の主体性・内面性ばかりに注目してきたことも、このような宗教観に関連している。すなわち、先生の思想を分析することに価値を置く見方においては、必然的に先生と弟子との直接的な交流がおこなわれる集会へと注目することにつながり、間接的な接触に過ぎない雑誌は軽視されることになるのである。
 そこで本書は、雑誌メディアに着目して無教会運動を捉え返すことを試み、それによりこれまでとは違った無教会像を提示しようとする。宗教学では、無教会のように活字メディアを駆使して、宗教=知識として人々に広めようとするタイプの宗教は「知識(人)宗教」と呼ばれ、一定程度の関心を集めてきた。しかし著者は、その概念が知識人という上からの視点を強調し過ぎていることを問題視する。たとえば無教会研究では、内村鑑三矢内原忠雄といった強い個性とそれに従う弟子という構図のもと、先生の研究ばかりが進められている。それに対し著者は、「読者宗教」という新たな概念を提起することで、その共同体を構成していた数多くの読者の存在へと注目を喚起する。そして、その読者の存在こそが無教会の本質的な部分であったと主張するのである。というのも、無教会運動では師弟関係の小さな集会が多く存在していたことから、先生中心主義的になりやすかった。そのため、それは権力の硬直化という、無教会が最も忌避するものにつながる恐れがあった。しかし、雑誌すなわち「紙上の教会」では、信徒=読者は一人が複数の先生をもつことができ、先生の権威をつねに相対化することができる。そして、こういった読者共同体こそが、当時の無教会運動に厚みをもたせていたものなのである。事実、かつて内村が自らの事業の後継者について語ったとき、その人物は身近で彼の薫陶を受けたような者からではなく、内村から時間的にも空間的にも隔たった見知らぬ者、すなわち雑誌・書物メディアの読者からあらわれるだろうと述べていた。
 さて、本書は無教会の歴史社会学的分析であるため、その主題は宗教であることに間違いないが、同時に政治、学問、思想といったトピックにも触れている。たとえば著者は、無教会運動に注目することで、啓蒙思想キリスト教の関係をめぐる新たな主題への着目を喚起している。大正期の教養主義は内村というキリスト者によって先導され、その時代に学んだキリスト教知識人たちが戦後改革の際に世間から大きな期待を背負うことになった。とくに戦後に活躍したキリスト教者は第二世代の無教会主義者であったが、彼らは内村から継承したキリスト教ナショナリズムを前面に打ち出した主張をおこなっている。こういった人物は、戦時下でも信仰を守り、戦争に反対したと捉えられがちである。しかし、本書の議論で明らかになるのは、彼らの全体主義民族主義への傾斜および天皇への思慕である。第二章では矢内原の思想のなかに全体主義への志向が確認され、第三章では矢内原や南原の目指した「精神革命」において天皇の役割に対する大きな期待が示されるのであった。