精神病院の症例誌にみる患者のデモグラフィ:鈴木晃仁「脳病院と精神障害の歴史」(2014)

 鈴木先生が長年にわたっておこなってきた、王子脳病院のカルテ調査の成果がついに刊行されました。「本章は速報的な性格が強い」ということですが、日本の精神医療史ひいては医学史一般に対して、症例誌という新たなパースペクティブをはじめて導入した、非常に重要な論文です。方法論など多くを学べ、医学史家は必読だと思いますので是非お買い求めを。

鈴木晃仁「第3章 脳病院と精神障害の歴史」山下麻衣(編)『歴史のなかの障害者』法政大学出版局、2014年、91–132頁。

歴史のなかの障害者 (サピエンティア)

歴史のなかの障害者 (サピエンティア)

 精神障害の歴史では二つのヒストリオグラフィが支配的である。一つは、正常と異常を区分する仕方の歴史を追っていくものであり、これはフーコーの『狂気の歴史』以来、現在まで多くの歴史家がインスピレーションを与えられて採用しているものである。しかし、精神障害がいかに定義されてきたかを問うだけで、実際にその内実を問わないのであれば、その議論の妥当性に疑問が投げかけられるかもしれない。そのため、精神障害者たちの生活や彼らを取り巻く社会構造に注目するという、また別のヒストリオグラフィが要請されるのである。ただし、後者のようなヒストリオグラフィを採用したとしても、それがただちに研究成果に結びつくわけではない。というのも、精神障害者たちの生活をうかがい知るような史料が長い間欠落していたからである。それに対し1980年代の欧米で、生活を浮かび上がらせることができる新たな史料として、精神病院における患者の症例誌への関心が集まっていった。症例誌とは患者の病院での記録をまとめたものであり、それにより大量のデータの取り扱い、質が高い情報、そして医学権力の刻印という三つの問題群を新たに医学史研究に提供することになった。しかし日本ではそういった史料が利用されることはいぜんとして少ない。そこで本論文は、そういった新たな史料=症例誌を日本の医学史にはじめて適用を試みようとしている。
 本論文が対象とする症例誌は、1901(明治34)年に東京府北豊島郡に設立された私立精神病院の王子脳病院に所蔵されていたものである。1919(大正8)年の精神病院法によって、この病院は東京府の代用病院に指定されて以降、戦前までに病床数を着実と増やしていったが、それに伴い多くの患者記録を残している。その大正期・昭和前期を中心とするカルテからは、これまでの日本精神医療史上のいくつかのテーゼを修正することができるだろう。たとえば、江戸期には短期的な治療の対象であった精神病=狐憑きが、近代化に伴い不治の病と定義されることで、精神病者を長期にわたる監禁へと追い込んだ、というものがある。しかし、王子脳病院のカルテを統計的に分析すれば、このテーゼが正しくないことがわかるだろう。というのも、王子脳病院に入院する私費患者と公費患者では、前者の在院期間は平均して一ヶ月から一ヶ月半分、後者は一年から二年半であった。なお、私費患者は短期間の在院ののち、「軽快・未治」のまま退院することが多く、公費患者はそれより長い在院期間を経て、その三分の二は病院で死を迎えている。
 また別の精神医療史上のテーゼとして、精神医学者・呉秀三(1865–1932)のものがあげられる。呉は西洋の精神病院では家族が定期的に見舞いにくることに対し、日本の家族は患者を精神病院に捨てに来ることが多い、という印象を語っている。しかしこのことも王子脳病院のカルテに即すと正しくはない。典型的な患者家族の面会パターンは一ヶ月に一回あるいはそれ以上であり、定期的な訪問をおこなっていたのである。著者はその様子を、現代の老人ホームとよく似ていることを示唆している。呉が提示したまた別のテーゼは、家族が患者を引き取りに戻ってくるのは、患者が作業療法に従事できるかどうかがキーになっていた、というものである。呉の考えは、精神医学史家のアンドリュー・スカルの「存在の商品化」論を想起させる。すなわち、資本主義の発展によって、患者身体が経済的価値と結びつけられ、精神病院へ収容する規準がその価値に依っていたというものである。この点についてもカルテをみるかぎりは、確かに作業療法の有無が退院との相関があるようだが、その反証事例を多くみつけることができるため、単純に「存在の商品化」をそこに見出すことはできず、今後の検討課題とされている。
 最後の論点は、カルテに見る治療の歴史である。精神病院の歴史では、しばしばその監禁的な側面が強調されるが、精神病院において治療はどのように位置づけられていたのだろうか。王子脳病院のケースでは、私費患者であるか公費患者であるかによって、治療のもつ意味合いが異なっていた。私費患者の場合、少なくとも1940年頃には、精神病院は最新の治療を提供してくれる場所であると捉えられていた。そのため、入院してからわずか数日の間に、インシュリンショックや電気痙攣療法の治療を受けており、それを受け終わるとすぐに退院するケースが目立っている。一方、公費患者の場合、治療は病院の秩序を乱そうとする者を「管理」するためにおこなわれたものであった。たとえば、患者がいくら医師との関係が悪くても、その人物が暴力行為などに走らなければそのまま放っておかれていた。しかしいったん「興奮」、「暴行」、「不良行為」などがあらわれると、その患者はナルコポンなどの神経系に作用する薬が投与されたのであった。