七年戦争とフランスにおける互換性のある兵器開発:橋本毅彦『「ものづくり」の科学史』(2013)#1

 とある科学史の授業のアサインメントとして読みました。なお、本書は『<標準>の哲学――スタンダード・テクノロジーの三〇〇年』(講談社メチエ、2002年)の改訂版です。

橋本毅彦『「ものづくり」の科学史――世界を変えた《標準革命》』講談社学術文庫、2013年、1−53頁。

 1851年にイギリスで開催された万国博覧会で、アメリカのサミュエル・コルト(1814−1862)が製作した回転式自動拳銃はその見物客を驚かせた。というのも、それが工業機械を用いて、同一の部品から簡単にかつ大量に銃をつくる方法を提示したからである。今では部品の標準化・互換性というのは当たり前のようになっているが、18世紀にはまだ機械製品はそれぞれの個性をもっていたのであり、職人が一つ一つ時間をかけてつくるものであった。それが19世紀になるとフランスの銃製造を通じて部品の標準化が進められ、20世紀には「互換性」をもつ部品が大量生産されていくことになる。本書は、このような標準化の歴史を、多くの機械製品の事例を提示しながら描いたものである。
 「第一章 ジェファーソンを驚かせた技術──標準化技術の起源」では、コルト式拳銃にみられる部品の標準化技術の背景となったフランスの銃製造技術の歴史が示される。フランスが銃を構成する部品の互換性に注目するようになったのは、プロイセンとの間で勃発した七年戦争(1756−1763年)がきっかけであった。というのも、兵力が半分であるにもかかわらず、迅速に軍隊を移動させるプロイセンを前に、フランス軍は敗北を喫してしまったのである。これにより、戦争においては軍隊・武器の機動性が重視されるようになり、大きな大砲よりも軽量で可動性の高い大砲をつくることが待望されるようになった。
 そういった新たな兵器体系をつくったのが軍事技術者のグリボーヴァル(1715−1789)である。彼はまず軍事製品そのものの標準化に取り組み、その後、それらを構成する部品の標準化をおこなった。しかしそれ以上に重要なのは、彼が互換性のある部品製造にも着手した点である。そもそも戦場では大砲というのはそれを運ぶ砲車とセットであるが、軽量の大砲であると発射の反動で砲車がより後ろに移動してしまい、機動性という軽量の大砲のメリットが損なわれてしまう。その解決策としては、たとえば砲車をより頑丈にすることなどが考えられるが、グリボーヴァルはむしろ、砲車を修理しやすくしようという発想をとったのである。すなわち、砲車の各部品に互換性をもたせることで、修理のしやすさを追求したのであった。
 その後フランス革命が起き、フランスではパリ市民を総動員した互換性をもつ銃の製造がおこなわれることになる。歴史家ケン・アルダーが「18世紀のマンハッタン・プロジェクト」と呼ぶこのプロジェクトは、しかしながら、合理的な設計生産を提示するエリート技術者のねらいとは裏腹に、その新技術の導入を放棄する市民労働者を前に、失敗に終わるのであった。

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