過去と現在の関連性に注目する医学史に向けて:Jackson, The Oxford Handbook of the History of Medicine(2011)

 とある医学史のゼミのアサインメントとして、医学史の概説書の序論を読みました。

Mark Jackson, “Introduction,” Mark Jackson, ed., The Oxford Handbook of the History of Medicine, Oxford: Oxford University Press, 2011, pp. 1–17.

The Oxford Handbook of the History of Medicine (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of the History of Medicine (Oxford Handbooks)

 本書の編者であるエクセター大学の医学史家マーク・ジャクソンは、その序論のなかで医学史のアイデンティティについて考察している。本書のような医学史概論の書はこれまで多く生み出されてきた。たとえば、バイナムとポーターの1992年の概説書は、社会史・文化史の知見をふまえて医学史を描き出すことを試みた。また、ユイスマンとワーナーの2004年の著作は、単に医学知識・実践の内実を歴史的に描くのではなく、これまで医学史がいかに書かれてきたかに注目を促してた。各国の医学史の伝統や方法をみることで、彼らは医学史は一枚岩のものではないし、これまでそうであったこともなかったと指摘するのである。本書はこういった論点を引き継ぎながらも、過去の医学史の方法論を概観し、あるべき医学史の姿を描き出そうとするのではなく、医学史のアイデンティティは現在と過去の関連性を論じることができる点にあると指摘する。
 まず著者は、これまでの医学史研究が何を目指して探求されてきたかについて、二つの立場に注目して検討をおこなう。すなわち、科学者のトマス・マキオンと歴史家のジョン・F・ハッチンソンがそれぞれ出した見方である。マキオンは1970年にロンドンのウェルカム研究所で開催された医療社会史学会の年会で、医学史がやせ細りつつあると指摘した。医学史が現在の医学の状況と接点をもとうとしないために、難解な学問分野になってしまっていると考えるのである。そのためマキオンは、医療の社会史研究者は、現在の医学と社会の状況をより適切に描けるような歴史を叙述する必要があると主張する。それに対しロシア医療史を専門とするハッチンソンは、1973年にマキオンを痛烈に批判する論文を発表した。ハッチンソンは医学史が非生産的になりつつあることを認めながら、その主たる原因は研究者の古物収集癖にあると考え、現代の問題を解決するために医学史研究をおこなうというマキオンの動機を、非歴史的だとして喝破するのであった。
 この論争で問題となっているのは医学史の目的とは何であるかという点であり、医学史を現代社会の医療に関する問題と関連づけてよいかどうかということである。ここで医療社会史学会の歴史をみてみると、その学会はもともと現代の医療・保健制度を改善する手がかりとして医療の社会史に注目するものであった。その後、1976年に医療社会史学会・会長に就任した医学史家のチャールズ・ウェブスターは、医学史の専門性を守るために現在の医療政策に関連させた医学史の叙述を放棄するように訴えた。この見方は一見ハッチンソンのマキオンに対する批判と重なっているように思えるかもしれない。しかしウェブスターは過去と現在の関わりを否定したのでなく、むしろ注意深い歴史的考察が現代の問題との関連性を見いだすことができると考えていたのである。
 そこで著者が本書のキーワードとするのが、この「関連性」という言葉である。医学史研究の対象は、当時の社会的状況に影響されているのであり、当時の医療はそれらと関連づけて分析されるべきである。その点について言えば、医療の社会史研究者はこれまで多く議論してきたし、知識社会学者も医学知識の社会的拘束性について分析してきた。一方で、医学史の対象は現在にそのインパクトを残しているものもあるため、医学史を医療政策学に役立たせることができる。たとえば、2002年に設立された「歴史と政策ネットワーク」は、医学の歴史研究からある時期の医療と社会の関係性のパターンを踏まえることで、医療政策を今日考えていく際にそれらを参照させようという主張をおこなっている。その逆に、医学史家は現在の医療政策学での論争をふまえたり、人口動態や疫学などの計量的な手法を自らの研究にも適用することに積極的でなさすぎるという声もあがっている。たとえば、今日の医療システムを評価するのに使われる健康影響評価(HIA: Health Impact Assessment)を、医学史にも取り入れてはどうかとロバート・ウッズは提案している。以上をまとめると、歴史学の作法に則った医学史研究と、医療政策学的な問題と関連させる医学史研究は両立するはずであり、その両立を目指す論文によって本書は構成されている。