医学史の方法論・アイデンティティの複数性:Huisman & Warner “Medical Histories”(2004)

 とある医学史のゼミのアサインメントとして、医学史の概説書の序論を読みました。

Frank Huisman and John Harley Warner, “Medical Histories,” Frank Huisman and John Harley Warner, eds., Locating Medical History: the Stories and their Meanings, Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2004, pp. 1–30.

Locating Medical History: The Stories And Their Meanings

Locating Medical History: The Stories And Their Meanings

 医学史にはこれまで一枚岩の方法論があったわけではない。本書の編者であるユイスマンとワーナーは、医学史を学問領域(ディシプリン)としてではなく分野(フィールド)と捉えることで、医学史が特定の時代や場所において、さまざまに活用されてきたことを明らかにする。医学史に一つの方法論やアイデンティティを求めるのではなく、それらの複数性を包摂するように認めることが、医学史という分野を実りあるものにすると言うのである。編者らは直線的で単一の医学史のストーリーを描くことを否定する。代わりに、医学史が18世紀末のドイツにはじまり戦間期に北米に伝わっていくのなかで、さまざまな方法論や目的が追求されていたことを示そうとする。
 まず、19世紀のドイツにおいて、医学史に教育目的と研究目的を見いだした二人の医師が紹介される。前者は、医学の歴史は医学生が医師として市民の義務を知るためのよき教材であるという考えである。この見方を提示したのは、ハレの医師であり植物学の教授であったKurt Sprengel(1766–1833)であり、彼は医学史創立の父とも知られている。医学の歴史は現在への教訓を与えると考えたSprengelは、医学史に実用的な目的を見いだしたのである。同じ時代には、医学史はこのような教育的な目的だけでなく、新たなタイプをつくりだすものとして捉えられることもあった。すなわち、ベルリンの医学者Justus Hecker(1795–1850)による歴史病理学(Historical Pathology)である。Heckerにとって、医学史は感染症の広がりといった今日的な医学の問題を研究するために役立つと考えていた。すなわち、中世から今日に至るまで病気の広がりのパターンを歴史的にみることで、将来の病気の予防や対応の参考にしようと言うのである。しかしながら、この新しい医学知識は、その思弁的な議論の仕方が批判されるようになり、18世紀中葉には歴史病理学の研究伝統は消えていく。その背景には、医学知識が生み出される場所が図書館から実験室へと移動したことがあげられる。こうして、大学で医学史を教える意義が疑問視されるようになり、医学から医学史を切り離そうという傾向が強まっていった。医学の科学化が進行するにつれ、一部の医者は医学史を反科学化・反物質主義のために利用しようとしたがそれもうまくいかなかった。なお、医学史におけるこういった複数の「伝統」は、本書の第一部に所収された論文で詳説されている。
 時代が下り、医学史に対する関心が医者の間で薄らぎつつあったが、研究と教育という二つの観点から医学史の自律性を主張する者が再びあらわれる。1905年にライプツィヒに新設された医学史研究所のポストについたKarl Sudhoff(1853–1938)は、医学史の学問的な基礎付けをおこなおうとし、自ら医学史のランケになろうと試みた。そのため、現在の問題と関連づけようとする医学史のプラグマティックな姿勢を、歴史主義的な立場から痛烈に批判したのである。アメリカでもジョンズホプキンス大学のFielding H. Garrison(1870–1935)がSudhoffのモデルをアメリカの医学史に適用しようとした。しかし、Sudhoffへの傾倒はアメリカの医学史家のなかでは必ずしも一般的ではなかった。たとえば、Henry Sigerist(1891–1957)は若い頃にSudhoffの文献学プロジェクトに参加したことがあったが、その頃から彼は歴史主義的な見方よりも社会学的な見方を好んでいた。Sudhoffが歴史資料の構築を目指していたのに対し、Sigeristはその資料群から哲学的・倫理的な問題の回答を引き出そうとしていたのである。彼が1931年に著した医学史概論は彼の教育への強い関心が詰まったものであり、アメリカでは医学史の教育的意義はその後半世紀にわたって継承されていくのであった。なお、1970年代から80年代に新しい社会史研究があらわれたことで、実用的な医学史を描こうとする姿勢は批判に遭うことになるが、その経緯は本書第二部に詳しい。さらにその後の文化論的転回を受けての医学史のとるべき方針が本書第三部で議論されている。