中世と新しい人文主義的伝統の交差路に立つレオニチェノ:Hirai, Medical Humanism and Natural Philosophy(2011)

 とあるインテレクチュアルヒストリーの授業のアサインメントとして読みました。

Hiro Hirai, "Chapter 1 Nicolò Leoniceno between the Arabo-Latin Tradition and the Renaissance of the Greek Commentators," Medical Humanism and Natural Philosophy: Renaissance Debates on Matter, Life and the Soul, Leiden: Brill, 2011, pp. 19–45.

 ガレノス(129–216頃)にまでさかのぼることができる「形成力(plastic power)」という概念は、中世の発生学に関する議論でしばしば用いられていた概念であるにもかかわらず、歴史家によってほとんど検討されていない。ガレノスが“molding faculty”と呼んだ形成力の概念が、ペルシャの医師アヴィセンナ(980–1037)を介してラテン世界にまで伝わったときには、“formative power”などの言葉で表現されるようになっている。その後、12–14世紀には、注釈家のアヴェロエス(1126–1198)に代表されるように、ラテン世界においてしばしば検討される概念となった。本章が対象とするのは、そのような歴史的背景のもとに生み出された、フェラーラの医学人文主義者ニコロ・レオニチェノ(1428–1524)が著した『形成力について(De virtute formativa)』(初版1506年、再版1524年)である。この書は、ルネサンス世界最初の発生学の専門書であり、中世のアラビア・ラテンの伝統とルネサンス人文主義の交差路に位置づけられる作品である。同時に、ジャン・フェルネル(1497–1558;本書第2章)、ヤーコブ・シェキウス(1511–1587;本書第3章)、フォルチューニオ・リチェティ(1577–1657;本書第6章)ら、後の人文主義者の形成力の議論に対しても影響を与えた。以下では、『形成力について』の本文構成に従い、レオニチェノがいかに先行者を文献学者的な立場から批判してきたかが論じられる。
 『形成力について』において、レオニチェノはまず、中世ラテン世界ではほとんど知られていなかったガレノスに注目し、彼が形成力に言及した箇所へ着目する。レオニチェノが引用するのは『胎児の形成について』である。そこでガレノスは胎児の形成の原因については無知であると告白しており、これをもってレオニチェノは、ガレノスは形成力の同定をおこなっていなかったと確認する。しかしレオニチェノは、ガレノスの『精液について』というまた別の書の存在を知っていたので、その著作の議論を踏まえ、ガレノスが胎児の形成力とは植物の霊魂であると考えていたのではないかと推論する。同時にレオニチェノは、動物の形成力は身体の自然熱・内的熱(あるいは「体質」)に由来するとも考えており、ガレノスがヒポクラテスの見解と類似していたと指摘している。
 次にレオニチェノは、アリストテレス『動物発生論』における形成力に関する議論に注目する。このとき、レオニチェノは彼オリジナルのアリストテレス解釈を提示するよりむしろ、先行者とくにアラビアの哲学者たちによるアリストテレス解釈が誤っていることを文献学的に示すことに紙幅を割いている。ここで批判されるのはアヴェロエスとピエトロ・ダバーノ(1257–1315頃)である。誤りとしてあげられるのは、たとえば、アリストテレスは種子の熱は天体の熱と類似しているとしか捉えていなかったにもかかわらず、ピエトロは両者は同一のものであると考えられていたと解釈している点、アリストテレスは形成力を神の事物あるいは知性と関連づけたていたとピエトロとアヴェロエスが誤って結論づけている点、などである。
 レオニチェノのピエトロ・ダバーノに対する文献学的な批判は二つの特徴を有している。第一に、彼がガザのテオドル(1400–1476)によるアリストテレスの新たな翻訳書を大いに活用していた点である。このテクストは、ピエトロら中世の学者が依拠していた粗野な翻訳書よりも明快で正確であった。ピエトロが、アリストテレスが形成力と知性との類似性を指摘するにとどまっていたにもかかわらず、両者を同一であると誤って解釈してしまったのは、古い翻訳書に依拠していたことも理由にあげられる。第二に、古代ギリシャの注釈家の議論を援用していた点である。たとえば、ピエトロが形成力を可分であると論じていたのに対し、レオニチェノはテミスティオス(317頃–388頃)による『アリストテレス「魂について」注解』を引用しながら、その考えが誤りであると指摘する。なぜならその注解に、アリストテレスは形成力を身体と不可分であると考えていたことが示されているからである。さらに、同じ注解においてネオプラトニズム的な発想とアリストテレスの概念が接続されているのを踏まえ、アリストテレスが形成力について論じていないながらも、魂の乗り物については論じており、それが部分的には可分で部分的には不可分である考えていたとレオニチェノは指摘し、ピエトロの誤りを正すのであった。
 ピエトロの批判を終えたレオニチェノは、また別のギリシャの注釈家を参照しながら、アリストテレス主義的な立場から形成力という概念の再構成をおこなっている。形成力という概念を理解するときに、レオニチェノが重要視するのは種子の内的自然という考えであった。この概念はかつて、アフロディシアスのアレクサンドロス(200年頃に活躍)によって非理性的な力であると捉えられていた。それに対し、シンプリキウス(529–?年に活躍)の『アリストテレス「自然学」注解』では、種子の内的自然は理性的なものであると捉えられている。さらにシンプリキウスは、その自然というのはさらに上位の天体の運動に起因するという考えを提示し、ネオプラトニズム的な自然解釈を展開する。リオニチェノはこの考えに好意的で、動物の発生はそういった特徴をもつ自然に由来すると考えたのであった。
 最後にレオニチェノは、批判の矛先をピエトロ・ダバーノからアヴェロエスに変え、その形成力に関する理解の誤りを指摘する。アヴェロエスの第一の誤りは、アヴェロエスアレクサンドロスの議論を引きながら、アリストテレスは形成力を知性と関連づけていたと論じている点である。それが誤りであるのは、すでにみたように、アレクサンドロスは種子の内的自然を非理性的な力であると捉えていたからである。アヴェロエスの第二の誤りは、テミスティオスが形成力を身体から分離された霊魂であると考えていたと捉えている点である。これに対してもレオニチェノは、テミスティオスの『アリストテレス「魂について」注解』をひもときながら、テミスティオスの理論では必ずしも形相付与者のような身体から切り離された高次の主体の存在が想定されていなかったと指摘している。最後にレオニチェノは、アヴェロエスプラトン的な考えに影響を受けながらも、プラトンを批判しているという自己矛盾に陥っていることを指摘し、議論を終えるのであった。