拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (2) 医療宣教の開始・拡大・縮小

 今月26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第2回目となる今回の記事では、第1〜3章を取り上げます。

  この3つの章は1859年から1880年代半ば頃までに注目し、日本においてアメリカ・プロテスタントによる医療宣教が始まり、拡大し、そして、縮小していく過程を描いています。
 1859年からアメリカ・プロテスタントの宣教師が来日しはじめます。第1章では、最初期の医療宣教師の横浜・長崎での活動を取り上げています。その中でも代表的な人物がヘボンです。ヘボンは今日ではヘボン式ローマ字などで知られていますが、来日した頃の彼は主に医師として活躍しました。また、この頃、全国から西洋医学を学ぼうとする医師がヘボンのもとを訪れ、地元に帰って、その地域に西洋医学を広げようとしました。
 アメリカで南北戦争が終わって、日本で明治維新が起きると、アメリカから宣教師が次々に日本にやってきます。その中には多くの医療宣教師が含まれていました。第2章では、1870年代に来日した医療宣教師を取り上げています。この頃、明治新政府は西洋医学の導入に躍起になっており、地方でも各地の医師・医学生がこぞって西洋医学を学ぼうとしていました。そのような医師・医学生の中には、西洋人医師から直接医学を学ぼうと、医療宣教師のもとを訪ねた者が多くいました。
 しかし、1880年代半ば頃から、西洋医学を学んだ日本人医師が全国で増加していくにつれ、医療宣教師は日本で医療宣教をおこなう意義に疑問を感じるようになります。第3章ではこの頃に医療宣教師たちがどういった対応をしたのかを明らかにしています。ある者は日本での医療宣教を辞め、またある者は日本人医師の活動と自らの活動の差異化をはかり、自らの存在意義を何とか示そうとしましたた。続く6つの章では、どのような差異化がおこなわれたかを、様々なグループに注目し、分析しています。

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