拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (3) 女性宣教師の活躍

 今月26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第3回目となる今回の記事では、第4・5章を取り上げます。

  女性宣教師に関する先行研究では、ミッションスクールの教師をつとめた宣教師に多くの注目が集まってきましたが、この2つの章ではアメリカ・プロテスタントによる日本での医療宣教の歴史において、女性宣教師が果たした役割の大きさを明らかにしています。とくに取り上げたのは医師・看護婦として働いた女性宣教師です。また、この2つの章では、女性医療宣教師・宣教看護婦による日本人女性に対する専門教育にも言及しています。そのため、明治期の女子教育・女子留学に関心を持つ方はこの章にとくに関心をもっていただけるかもしれません。
 第4章は女性医療宣教師を取り上げています。1870年代までに来日していた医療宣教師はすべて男性でした。しかし、1880年代半ば頃から、医療宣教を辞める男性医療宣教師が少しずつ出てきました。そこで、女性医療宣教師たちは、これまでの医療宣教が男性のみによっておこなわれていたことを問題視し、女性による医療活動の重要性を主張しました。1880年代から1890年代にかけて、彼女たちは函館、秋田、横浜、京都、金沢、長崎など様々な場所で活躍することになります。
 第5章は看護婦として働いた宣教師の活動と彼女たちやミッションによる看護婦養成事業に注目しています。この章は他の章とやや異なっています。これまでの章ではアメリカ人宣教師の活動に注目し、その中でも医師としての活動を中心に分析してきました。しかし、本章は看護婦をつとめた宣教師に注目し、アメリカ人だけでなくイギリス人・カナダ人も取り上げました。日本の医学界はドイツからの影響が強かったですが、本章では日本の看護界が英語圏から影響を受けていたことを指摘しています。

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