拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (5) 戦後の医療宣教の発展

 あさって26日に出版される『医学とキリスト教』の内容紹介を全6回に分けておこなっています。第5回目となる今回の記事では、第8・9章を取り上げます。

  この2つの章では、アジア・太平洋戦争後、アメリカ・プロテスタントによる医療宣教が多様化し、発展していく様子を描いています。戦前から存在した東京衛生病院や聖路加国際病院だけでなく、戦後新たに設立された淀川キリスト教病院(大阪)や日本バプテスト病院(京都)にも注目し、分析しています。
 戦争が終わると、GHQ/SCAPによってアメリカ式の医学教育がもたらされることになります。医学史の先行研究では、GHQ/SCAPによって進められた様々な医療上の改革に関心が集まっていました。第8章では、そういった改革が進められる中、民間ではどういった対応がおこなわれたかに注目し、その事例として聖路加国際病院を取り上げました。戦後の聖路加国際病院には医療宣教師が着任することはありませんでしたが、戦前に医療宣教師トイスラーから学んだ日本人医師らによって、様々な事業が振興されました。具体的には、医師卒後研修、病院管理、看護婦養成などです。聖路加国際病院はいずれの分野でも戦前から活動実績があったので、それぞれの分野で模範的な役割を果たしていくことになります。
 第9章では、ミッションによって設立された病院が、戦後、多様化し、発展していくことを示しています。この章ではとくに医療宣教に関わった多様な医療専門職の存在を明らかにしています。具体的には、これまでの章でみてきたような医師と看護婦だけでなく、栄養士、病院管理者、医療ソーシャルワーカー、病院ボランティア、チャプレンなどです。彼らはチームとなって医療を進め、同時にチームとして宣教を進め、患者たちにキリスト教を伝えようとしました。

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