拙著『医学とキリスト教』が刊行されました

 本日8月26日、法政大学出版局より拙著『医学とキリスト教——日本におけるアメリカ・プロテスタントの医療宣教』が刊行されました。

  本書、そして本書のもとになった博士論文を完成させるために、数え切れないほど多くの方からサポートしていただきました。早稲田大学東京大学大学院、イェール大学、ハーバード・イェンチン研究所、ベルリン自由大学、シンガポール国立大学などで出会った方々、医学史、科学史、洋学史、アメリカ史、日本史、グローバル・ヒストリーなどの学会・研究会で出会った方々にあらためて御礼申し上げます。また、本書を完成させるために様々な団体・組織から経済的支援をしていただき、非常に助かりました。そして、学術書の出版が容易ではない状況のなか、出版の機会を与えてくださった法政大学出版局に心より感謝申し上げます。

 ありがたいことに、現在、いくつかの場所でブックトークや合評会のお誘いをいただいております。それも詳細が決まり次第こちらのブログでお知らせしたいと思います。著者としては、このような機会は非常にありがたいものですので、もしそういった企画をしていただける場合はお気軽に藤本(fujimoto.daishi[at]gmail.com)までご連絡ください。もちろん、私と面識がない方からのお誘いも歓迎です。

 なお、本書の概要については、昨日までの6回にわたる記事である程度紹介しました。

紹介記事(全6回)

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (1) 本書の問題意識 - Blog: Hiro Fujimoto

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (2) 医療宣教の開始・拡大・縮小 - Blog: Hiro Fujimoto

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (3) 女性宣教師の活躍 - Blog: Hiro Fujimoto

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (4) 2つの教派の躍進 - Blog: Hiro Fujimoto

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (5) 戦後の医療宣教の発展 - Blog: Hiro Fujimoto

拙著『医学とキリスト教』内容紹介 (6) 残された課題 - Blog: Hiro Fujimoto

 そのため、今回は本書の詳しい内容には立ち入らず、以下で本書の内容紹介と目次を再掲するにとどめたいと思います。

内容紹介
幕末からアジア・太平洋戦争後に至るまで、多くの医師資格をもつプロテスタント宣教師がアメリカより日本に派遣され、医療を通じて人々にキリスト教を広めていった。ドイツの強い影響下にあった明治期以降の日本医学界において、アメリカ人医療宣教師たちはいかにその活動を拡大していったか。日々の診療のみならず、医学・看護教育、慈善事業・公衆衛生事業など多岐にわたる彼らの活動とその変遷を検証する。

目次
序章 アメリカ・プロテスタントの日本宣教と医療宣教

第一章 医療宣教の始まり
 第一節 医療宣教開始の背景
  第一項 海外宣教の始まり
  第二項 日本宣教の始まり
 第二節 最初期の来日医療宣教師
  第一項 ヘボン
  第二項 シモンズ
  第三項 シュミット
 第三節 ヘボンによる医学教育
  第一項 医師の遊学と各藩における英学奨励
  第二項 西洋医学のみを学んだ医師
  第三項 西洋医学キリスト教を学んだ医師

第二章 医療宣教の広がり
 第一節 医療宣教拡大の背景
  第一項 キリシタン禁制の高札の撤去と来日宣教師の増加
  第二項 医療宣教師の活動拠点
 第二節 一八七〇年代の来日医療宣教師
  第一項 イギリス・カナダ出身の医療宣教師
  第二項 ベリー
  第三項 ゴードンとアダムズ
  第四項 テイラー
  第五項 ラニング
  第六項 ギューリック
  第七項 クレッカー
  第八項 A・ヘール
 第三節 医学教育者および宣教師としての活動
  第一項 伝道旅行と現地医師の感化
  第二項 多様な医学教育への関与
  第三項 教会形成への貢献

第三章 医療宣教の変化
 第一節 医療宣教低迷の背景
  第一項 西洋医学を学んだ日本人医師の増加
  第二項 問い直される医療宣教の意義
 第二節 教員および聖職者としての活動
  第一項 キリスト教主義学校と教会の増加
  第二項 アメリカン・ボード
  第三項 アメリカ・メソジスト監督教会
  第四項 アメリカ南メソジスト監督教会
 第三節 ドア・オープナーから実践的慈愛の担い手へ
  第一項 キリスト教主義医学校設立構想
  第二項 実践的慈愛
  第三項 慈善医療
  第四項 医療宣教の縮小

第四章 女性医療宣教師
 第一節 女性医療宣教師来日の背景
  第一項 女子医学教育の広がりと女性宣教師の台頭
  第二項 ミッションにおける女性医療宣教師の活動
 第二節 一八八〇~一八九〇年代の来日女性医療宣教師
  第一項 男性医療宣教師から女性医療宣教師へ
  第二項 カミングス
  第三項 ハミスファー
  第四項 ケルシー
  第五項 バックリー
  第六項 ゴールト
  第七項 スチーブンス
 第三節 医療宣教中止の理由
  第一項 ミッション内部の対立
  第二項 日本人医師の多さ
  第三項 日本人からの圧力
 第四節 医療宣教継続のために
  第一項 日本人支援者
  第二項 アシスタントとしての日本人女性
  第三項 医療宣教がいまだ必要な場所

第五章 宣教看護婦
 第一節 宣教看護婦来日の背景
  第一項 英語圏における看護専門職の始まり
  第二項 停滞する医療宣教と期待の高まる看護婦養成
 第二節 一八八〇~一八九〇年代における看護婦養成と宣教師
  第一項 有志共立東京病院看護婦教育所
  第二項 パーム病院と聖バルナバ病院
  第三項 桜井女学校附属看護婦養成所
  第四項 京都看病婦学校
  第五項 神戸看病婦学校と長野看護婦学校
 第三節 一九二〇~一九三〇年代におけるミッション看護学校
  第一項 日本における看護専門職の発展
  第二項 聖路加国際病院高等看護婦学校・聖路加女子専門学校
  第三項 東京衛生病院看護婦養成学校
 第四節 ミッション看護学校の意義
  第一項 英語圏への留学
  第二項 看護教育を通じた感化
  第三項 ミッション・スクール卒業生のキャリアとしての看護婦

第六章 セブンスデー・アドベンチスト教会の医療宣教
 第一節 教会における医療の位置づけ
  第一項 創始者ホワイトにとっての健康
  第二項 ケロッグの医学思想
 第二節 日本における医療宣教の展開
  第一項 神戸衛生園と神戸衛生院
  第二項 専門部の設立
  第三項 東京衛生病院と布引診療所
  第四項 戦時下の教会弾圧
 第三節 医療宣教発展の要因
  第一項 多様な医療宣教の担い手
  第二項 薬物療法を補完する物理療法

第七章 アメリカ聖公会の医療宣教
 第一節 初期事業
  第一項 トイスラーと聖路加病院
  第二項 医学校構想・実践的慈愛・慈善医療
  第三項 官民との協力
  第四項 病院の拡張
 第二節 国際病院化計画
  第一項 外国人への医療提供
  第二項 日米両国のねらい
 第三節 公衆衛生事業の発展
  第一項 アメリカの医学の振興
  第二項 メディカルセンター
  第三項 特別衛生地区保健館・公衆衛生院
 第四節 国家総動員体制下
  第一項 日本を去る外国人宣教師
  第二項 立教大学医学部新設構想
 第五節 病院での伝道
  第一項 伝道師・チャプレン
  第二項 伝道の様子

第八章 民間からの戦後医療改革
 第一節 アメリカから医学を学ぶ
  第一項 戦後医療改革
  第二項 アメリカの医学への関心の高まり
  第三項 聖路加国際病院と橋本寛敏
 第二節 病院制度
  第一項 「医療法」と病院管理
  第二項 近代病院の条件
  第三項 病院の模範を示す
 第三節 医師卒後研修制度
  第一項 実地修練制度
  第二項 臨床研修制度
 第四節 看護制度
  第一項 看護婦の業務と教育
  第二項 聖路加女子専門学校の発展

第九章 戦後の医療宣教
 第一節 戦後のミッション病院
  第一項 戦後改革と東アジア情勢
  第二項 東京衛生病院
  第三項 日本バプテスト病院
  第四項 淀川キリスト教病院
 第二節 ミッション病院の特教
  第一項 慈善医療と看護婦養成
  第二項 新生児医療と終末期医療
 第三節 チームとしての医療と宣教
  第一項 チーム医療
  第二項 病院チャプレンの台頭と臨床牧会
  第三項 チーム宣教

終章 医学史・ミッション史におけるアメリカ人医療宣教師
 第一節 ミッション内での役割の変化
 第二節 医学教育への関与
 第三節 日本人医師との差別化
 第四節 医療とキリスト教の総合史にむけて

あとがき
文献リスト

事項索引
人名索引

 本書を一人でも多くの方に読んでいただけることを願っております。