20世紀における生と死の社会史:Nicolson ”Death and Birth”(2010)
前回授業のアサインメントとして読んだ文献は、18世紀から19世紀にかけての生・死の世俗化・科学化という主題について論じたものでしたが、今回のものは20世紀における死と生に関する言説をまとめた文献を読みました。20世紀における生と死についてまとめた文献は実はそれほど多くないため、幅広いトピックを紹介している本論考は色々と参考になります。
Malcolm Nicolson, "Chapter 1 Death and Birth," Ivan Crozier, ed., A Cultural History of the Human Body in the Modern Age, Oxford & New York: Berg, 2010, pp. 23-41.
A Cultural History of the Human Body in the Modern Age
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疫学者ウィリアム・ファーが統計学的な疾病分類学を発展させた19世紀中頃、これまで偶然的なものであると考えられた死は、もはや人々の様々な属性を知ることで理解可能であると考えられるようになっていった。もちろん、死は個人の手によってコントロールできるものではないと考える者は依然として多かった。しかし、20世紀の進化生物学者たちが述べ立てたように、死は神の領域に属するものではなく、平凡で俗的な事柄であると次第に考えられるようになったのである。
本論でまず確認されるのは、死に対する人々の見方の変化である。死をポジティブに表現することは昔からみられ、たとえばバッハの「来たれ、汝甘き死の時よ」(1736)では、この世の苦痛から死は逃れられるものとして、魅力的であると描かれている。しかし、20世紀にレオポルド・ストコフスキーがこの曲を再演したときには、ポジティブな死というイメージはより大衆性を獲得するに至った。また、乳がんを患ったギルマンが女性の自律性の権利を訴え、1930年代に自ら死を選択したことは、死をポジティブに捉える別の例と考えることができるであろう。さらなる事例として、現代における安楽死、すなわち、「良き死」の法制化を目指そうとする人々の動きもを付け加えることもできる。
死に対する表象は別様にも変化した。15世紀、死は骸骨や腐敗する身体などの表現によって、男性的で恐ろしいものとして絵画などで描かれてきた。しかしこれが20世紀になると、死はより格好良いもの、そして危険なまでにエロティックなものであると表象されるようになる。映画「ジョー・ブラックをよろしく」(1998年、アメリカ)において、ブラット・ピットという美男子が死神を演じ、そして彼がある女性と恋に落ちるというストーリーは、そういった特徴を有した典型的な作品として捉えることができるだろう。
一方、死に対する科学的・医学的な見方もまた20世紀に大きく複雑化した。かつては呼吸や心臓の停止などを手がかりに死が判断されていたが、死に関する医療技術の発展により、死はそれほどまでに単純ではなく、さまざまな定義が生み出されていくことになる。その最たる例は脳死であろう。死は脳全体の死を指すべきなのか、それとも大脳皮質の死とすべきなのか、あるいは遷延性植物状態の患者の生命をいつまで維持すべきかは、医師や生命倫理学者によって現在でも大きな論争を巻き起こしている。そして、生と死に関する新たな見方の登場によって、死に瀕した人々の心理学的なケアに関する学問が発達し、一方、医療者養成の現場でそういった「死亡学」などに関する講義が行われるようになった。
そして、生についての言説もまた、医療技術の発展によって、20世紀に大きな変化を遂げている。それは、生命の誕生の場面において最も顕著である。たとえば、1950年代以降、超音波診断によって胎児の状態を知ることが出来るようになったが、それは胎児を患者として可視化しただけでなく、社会のメンバーであると意味づけることにもつながった。すなわち、母親から独立した患者としての権利を獲得したと同時に、可視化された胎児の存在によって、母親と胎児をめぐる社会・労働環境の改善が進んでいったのであった。
関連エントリ・文献
19世紀における生と死の科学化と世俗化:Laqueur and Cody "Birth and death under the sign of Thomas Malthus"(2010) - f**t note
本エントリとあわせて、18・19世紀における生と死の文化史研究をまとめた上記エントリもどうぞ。
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