エネルギー観と労働観の変化の並行性:Rabinbach "From Mimetic Machines to Digital Organisms"(2010)

 授業のアサインメントとして、18〜20世紀の欧米における労働の概念史について論じた文献を読みました。著者の専門は近代ヨーロッパの思想史ではありますが、本論文は科学史や医学史、さらには社会史や文化史などの話題についても扱っており、非常にスリリングな文献であると思います。

Anson Rabinbach, "Chapter 10 From Mimetic Machines to Digital Organisms: The Transformation of the Human Motor," Michael Sappol and Stephen P. Rice, eds., A Cultural History of the Human Body in the Age of Empire, Oxford & New York: Berg, 2010, pp. 238-259.

A Cultural History of the Human Body in the Age of Empire

A Cultural History of the Human Body in the Age of Empire

 本論考は18世紀以降の「労働」あるいは「運動」の概念史と呼ぶことができるが、それら概念と人間と機械との境界に対する見方の変化との並行性に著者は着目している。すなわち、「模倣的」(18世紀)、「超自然的」(産業革命期)、「デジタル」(現代)と分類される、機械としての人間身体に関する様々なメタファーを手がかりにし、18世紀から20世紀における労働や運動、さらにはエネルギーに対する科学者や大衆の見方の変化を追っている。
 まず、18世紀の模倣的な科学技術の時代における人々の運動観・労働観についてみてみたい。時計仕掛けに代表されるこの時期は、職人たちは生き物の活動を模すことによって運動を表現した。たとえば、18世紀中葉にヴォーカンソンによってつくられた「消化するアヒル」というオートマトンは、羽をぱたぱたさせながら、餌を食べ、水を飲み、消化した後に糞を出す、まるで生きたアヒルのような動きをもっていた機械であった。
 しかし、18世紀のオートマトンは自ら駆動する力はもっておらず、そうであるがために生物の「模倣」に過ぎないとされた。こういった見方はデカルトなどにみられ、魂、感情、言語、自発性を欠いたオートマトンは不完全であるという考えがこの時期までは支配的であったのである。実際、エネルギーあるいは力を製作者が与えている点で、18世紀のオートマトンは自ら動作する機械とは言えなかった。
 だが、19世紀にエネルギーの観念が書き換えられると、自ら駆動するエネルギーというものの存在について疑念が向けられることになる。産業革命およびヘルムホルツによる熱力学第一法則が発見されたこの時代には、自らが生み出すようなエネルギーといった存在は幻想であり、それらをどう獲得するかを思索するよりもむしろ、今あるエネルギーをいかに「転換」するかが問題となったのである。蒸気機関や自動車はまさしくこのような発想のもとに生まれている。この見方はさらに推し進められ、生産活動という観点からみれば、人間の身体であっても、テクノロジーであっても、自然であっても、それらは究極的には互いに交換可能であるという考えられるようになる。つまり、ヘルムホルツの登場によって、魂のような自ら駆動する力の存在が否定され、運動に対する新たな見方、つまり、「超自然的な物質主義」が形成された。
 ここでさらに重要なのが、こういった科学史上の運動やエネルギー概念の変化が、日常的な労働という観念についても大きな影響を与えたと言う点である。たとえば、18世紀に労働について理論化をおこなったロックやアダム・スミスたちにとっては労働とは産出的な活動であるとし、マルクスもまた当初は同様の考えをもっていた。しかし、ヘルムホルツを受け、1859年以降のマルクスは労働を産出の行為というよりも転換の行為と考えるようになったのである。そして、同時に人間の解放という社会的な課題を労働からの解放を通じて達成しようとしたのであった。
 労働に対する見方の変化は、さらに実際の労働現場に対しても影響を与えた。たとえば、アメリカにおけるテイラー流の労働管理システムに代表されるように、労働者のエネルギーは合理的かつ科学的に管理されるようになった。つまり、無駄な労働エネルギーの転換を極限まで排除しようというのである。また、人間工学の先駆者であり、疲労研究の専門家でもあるフランスのアマールは『人間モーター』(1913)のなかで、労働上の無駄な動きを減らすことを目指していた。さらに、ワイマール期ドイツでは労働者の適性検査がおこなわれ、労働者を心理学的に管理・評価する技法が発展させられた。その後、第一次大戦前後においては労働者の身体に関する科学的技法の適用にむけて、さらに多くの者が関与するようになり、その規模が増大していった。たとえば、先にみたドイツにおける心理学的な技法は産業の場面に留まらず、政治的な文脈においても用いられるようにもなり、ギーセやアーノルドといったナショナリストによる心理学的な技法は後にナチスドイツにおいても利用されることになった。
 そして現在、われわれは「デジタル」という新たな人間と機械の境界が設定された世界に生きている。第二次世界大戦後から1970年代初めまではフォード流の規律システムが支配的であったが、ここ数十年の間に新たな規律システムがつくられていった。すなわち、これまでのトップダウン式な規律システムに代わり、民主的でコミュニケーション的な規律が求められるようになった。そして、今日の機械としての身体という見方は、コンピュータに代表されるようにデジタルなものとして比喩される。今や、18世紀に探究された疲れを知らないオートマトンという幻想が、コンピュータによって実現化されるのではないかと再び考えられる時代となったのである。

参考記事・文献

古代の発生論と技術モデル Henry, "Embryological Models in Ancient Philosophy" #1 - オシテオサレテ

上記まとめの前半で、オートマトンと自然との関係性について簡略化して記述しましたが、このような定式化は一面的であることはこちらの記事からもわかります。「発生」は最近の初期近代インテレクチュアル・ヒストリー研究でも非常に注目されている概念ですね。


科学の社会史―ルネサンスから20世紀まで

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上でみた科学史上の産業革命の意義については、本書「第九章 産業革命とイギリス科学」で簡潔にまとめられています。


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かつて人間と宇宙(ガリレオの天動説)、人間と動物(ダーウィンの進化論)、人間と自然(フロイトの心理学)との境界などが探究されてきたことになぞらえ、本書では人間と機械との境界を「第四の境界」として注目し、考察しています。


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