医療技術による「身体」の再定義:Schlich "The Technological Fix and the Modern Body"(2010)

 授業のアサインメントとして、20世紀に外科学が与えた社会的・文化的インパクトを概観した文献を読みました。

Thomas Schlich "The Technological Fix and the Modern Body: Surgery as a Paradigmatic Case," Ivan Crozier, ed., A Cultural History of the Human Body in the Modern Age, Oxford & New York: Berg, 2010, pp. 71-92.

A Cultural History of the Human Body in the Modern Age

A Cultural History of the Human Body in the Modern Age

 
 20世紀は外科学の世紀である。それまでは医学の中心は内科学であり、外科学はその周縁に位置していた。しかし、19世紀における麻酔法および消毒法の確立を背景に、20世紀には外科学が医学において中心的な役割を果たすようになる。本論文はまさにこの時代において発展した医療技術による治療に着目し、この「技術的修理(technological fix)」を二つの主題と関連させて論じている。すなわち、外科技術の発展によって政治的・社会的・宗教的・文化的問題が医学の問題として再定義されていく過程を検討し、さらに、そういった外科技術によって具象化され、疎外されていく人々の身体イメージが描き出されている。

 20世紀には医療技術の進歩によって、それまで身体とは関連させられて論じられていなかった問題が、身体と関連させられるようになった。たとえば1930年代のドイツでは、車のスピードの出し過ぎによる事故の増加が社会問題となり、スピード規制など安全運転に関する法整備が求められるようになった。しかしながら、そういった規制は経済発展を鈍らせるとする批判者があらわれ、規制ではなく、外傷手術を充実させることで事故の犠牲者に対する治療をおこなうべきだと主張された。すなわち、交通規制は政治的な問題ではなく、個人の問題であると再定義されたのである。また別の例としては、19世紀後半の精神外科の進展があげられる。初期近代においては、精神病は道徳的あるいは宗教的問題として考えられていた。しかしながら、精神外科は精神病を器質的な病変と再定義し、その病変を取り除くことで精神病者の治療を試みたのであった。ここでもまた、技術によって精神病が道徳・宗教的な問題から生物医学的な問題へと変化させられたのである。さらなる例として、美容整形があげられる。20世紀の初め、個人の福祉を身体的な健康だけでなく、精神的な健康からも考えようとする機運が高まった。その際、精神の健康は社会においていかに自分が居心地よく生きれているかどうかに依存すると考えられ、その健康を容易に獲得できる手段として顔のしわ取りなどの美容整形に注目が集まったのであった。もちろん、こういった美に関する意識は文化に依存するが、そこで羨望される美のイメージは外科的技術の発展により可能となった身体イメージに大きく規定されていた。最後の例として、20世紀半ばに生まれた性決定に関する外科手術があげられる。この技術によって、自己認識による性と身体的な性の不一致は道徳的な問題ではなく、技術的な問題であると再定義されるようになったのである。
 このような医療技術はひとびとの「身体」および「自己」に対するイメージも大きく変容させた。19世紀の終わりに移植技術が生まれたことにより、人体を「分解」して捉える見方があらわれた。ここではひとびとの身体は交換可能であり、これまでのように人体内部のバランスや環境との病気を治すのではなく、病気となった身体の部分を移植によって取り替えればよいという考えが生み出される。あたかもスペアのパーツであるかのように捉えられるようになった人体の各器官は、同時に「商品化」が進められていくことになる。つまり、数が乏しく貴重な人体の器官は、社会的再活用のためリサイクルされねばならないと考えられるようになったのだ。このような医療技術を背景に、身体と自己との関係性もまた再構築される。身体は交換可能であると考えられながらも、それと自己同一性との関係をどう捉えるかはいくつかの見方があった。たとえば、感染体に対して抵抗する免疫システムは、まさに生物学的な同一性を示すものと考えられたのである。今日、遺伝工学はこのような細胞や分子に対する「技術的修理」を進めようとしている。つまり、かつて外科学が器官や組織を対象としていた段階からよりミクロなスケールになったのである。自己を以下に捉えるかの別の例として、脳という器官と関連させる見方も存在する。人格は脳に位置すると考える見方において、脳死は人格の死であると考えられる。つまり、かつて個人の死は社会・文化的に規定されていたが、呼吸器の開発によって脳死状態で生きながらえることが可能になったように、人格の死は技術的に操作されうるようになったのである。このように20世紀の外科学の発展は、ひとびとの「身体」や「自己」のイメージを大きく変化させた。もちろん、脳死移植に対する現在の反発にみられるように、ひとびとの文化的・社会的価値観は技術的に完全に変容させたわけではないのであるが。

関連エントリ・文献

http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/62286286.html

臓器交換社会―アメリカの現実・日本の近未来

臓器交換社会―アメリカの現実・日本の近未来

  • 作者: レネイ・C.フォックス,ジュディス・P.スウェイジー,Ren´ee C. Fox,Judith P. Swazey,森下直貴,窪田倭,倉持武,大木俊夫
  • 出版社/メーカー: 青木書店
  • 発売日: 1999/04/01
  • メディア: 単行本
  • クリック: 4回
  • この商品を含むブログを見る