ゴールドラッシュと水供給:森下直紀「サンフランシスコ市における水道事業公営化への史的展開」(2011)

森下直紀「サンフランシスコ市における水道事業公営化への史的展開」『Core ethics:コア・エシックス』7、2011年、285–298頁。
http://www.r-gscefs.jp/?p=1382
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 18世紀の中頃から19世紀の初頭のアメリカでは水道史における一つの大きな転換点となっていた。すなわち、ニューヨークやボストンなどの東部の水道事業が、これまでの私的運営から公的運営へと変わっていったのである。その背景には、私的な企業による高い水道料金やその運営に対する市民の不満の高まりがあったと言う。一方、本論が対象とするサンフランシスコではそれと同様の過程がたどられることはなかった。もちろん、私的企業による水供給への市民の不満はあったが、それでもなお、サンフランシスコ市は公的な水供給へと乗り出さず、20世紀初頭まで水道事業を私企業に請け負わせていたのである。そのような背景にはサンフランシスコという市の特徴があった。すなわち、サンフランシスコの地理的な環境が公的な水道敷設を遅らせたのである。サンフランシスコのまわりには大河がなく、ステップ気候であるため水資源が乏しかったのである。そのことに加え、サンフランシスコが新興の市であったことがあげられる。1848年のゴールドラッシュにより、サンフランシスコ市の人口が一年で1000人から25000人へと大幅に増加した。しかし、それに見合った水供給をおこなうためのインフラ整備が新興の市の財源では難しかったのである。また別の背景として、既に1850年代後半からサンフランシスコ水道社などが近隣の水源をおさえており、市が新たに水源を確保するには遠隔地の水源を探索する必要があり、その大きなコストを市が負担することが出来なかったことがあげられる。
 もちろん、市は水の供給を私企業に完全に任せようとしたわけではなく、市による水供給の実現に向けて少なからぬ施策を講じていた。1858年6月にサンフランシスコ水道社が市内に初めて水を供給したが、1869年にスプリングバレー水道社が公共建築物への水供給を停止するなど、私企業による水供給に対して市や市民の不満は高まっていた。そのような状況に対し、1874年にははじめて市議会が水源調査に予算を割り当て、翌年には前年の100倍となる50551ドルの予算が計上されるなど、市は公的な水供給を実現させようとした。しかし、これは上記の理由によりよい成果をおさめることはなかった。また、「他のどの都市よりも12倍も高額の水道料金を徴収する」とする市民の私的な水道社に対する不満をくみ取り、市は1870年代後半に水の価格を引き下げるように命じている。このように、市は公的な水道事業の実現を目指しつつも、企業によっておこなわれた水供給に部分的に口出しすることで市内の水供給を成立させるにとどまっていた。水道事業の私的運営から公的運営へと転換するのは、革新主義時代の1896年にジェームス・フェランがサンフランシスコ市長へと就任し、市憲章が成立された以降のことであった。その市憲章には市が水道事業を運営・所有することが明記された点で画期的であった。しかし、1900年に施行された後も、市への水供給はスプリングバレー水道社が担っており、市による最初の水道であるヘッチ・ヘッチィ水道が完成するのは1934年まで待たなければならなかった。

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