「辺境」の調査者と被調査者:坂野徹『フィールドワークの戦後史』(2011)#1

 ここ数年にわたってフィールドサイエンスに関する調査を進めていた坂野先生ですが、昨年末ついに本書『フィールドワークの戦後史』が出版されました!本書はとくに、戦後すぐに学会の枠を超えて組織された九学会連合と、そこでの民俗学者宮本常一の活動を中心に検討しており、先行研究でほとんど明らかになっていなかった主題に光を当てた重要な著作です。ということで、序章・第1章と第2章・第3章・終章とにわけて、本書の内容をまとめていきたいと思います。

坂野徹「序章 フィールドワークの時代」、「第1章 対馬調査と朝鮮戦争」『フィールドワークの戦後史――宮本常一と九学会連合』吉川弘文館、2011年、1–60頁。

フィールドワークの戦後史―宮本常一と九学会連合

フィールドワークの戦後史―宮本常一と九学会連合

 1947年、日本人類学会・日本民族協会・民間伝承の会(1949年に日本民俗学会へ改称)・日本社会学会・日本考古学会・日本言語学会が学会の枠を超えた六学会連合を組織した。1951年までにその組織は日本地理学会・日本宗教学会・日本心理学会が加わって九学会連合となり、1990年まで活動を続けていく。その会長は戦前から日本民族協会に関わっていた渋沢敬三であり、その活動に深くコミットしていたのが民俗学者宮本常一であった。その活動は、国内の特定の地域を選び、合同でフィールドワークをおこなうなどであった。これら国内調査は、1952年以降に再開される海外調査と比べると派手さはないかもしれない(実際、海外調査の再開により、いくつかの学会はこの国内調査に魅力を感じることが少なくなっていった)。しかし、九学会連合の調査には敗戦・占領の経験が少なからぬ影を落としていた。すなわち、九学会連合は日本の「辺境」地域の調査を通じて、「辺境」の調査を通じて「日本」、「日本文化」を再定義しようとした点で特徴的な取り組みなのであった。本書はなかでも対馬(1950–1951年=第1章)、能登(1952–1953年=第2章)、奄美(1955–1957年=第3章)に焦点をあわせ、先行研究でほとんど論じられることのなかった九学会連合の実態を明らかにすることを試みている。

 九学連合の第一回の調査地は対馬(1950–1951年)であったが、この調査は当時の朝鮮半島の状況に少なからぬ影響を受けていた。当初、その他の候補地としては淡路島や琉球などがあがっていたが、大陸文化と日本文化の交流点であること、調査が進んでいないことなどを理由に対馬での調査が決定した。調査がはじまった1950年の夏には対馬からわずか80kmの地で朝鮮戦争が勃発し、対馬調査の政治的色合いが増していくことになる。1952年には李承晩ラインが提示され、対馬が韓国領であることが主張されたこともあり、調査者にとって対馬が日本であることを学術的に証明することは一つの目標となっていったのである。調査団の言語班は対馬の方言研究から、人類学班は島民の生体計測から対馬の住民が完全に日本的であること証明し、そのような見解を最終報告にまとめた。一方で考古学者たちは対馬を大陸文化の日流入のステップストーンとして機能したことを示し、少数意見ながらも、対馬と朝鮮との関係性を示唆する者もあった。このように、九学会連合による対馬調査は対馬をめぐる日本と朝鮮の領土問題と少なからぬ関連をもって進められたのである。
 ただし、対馬での調査がすべて政治的なイデオロギーに回収されていたわけではないし、対馬は単なる受動的な調査対象地であったわけでもない。たとえば、調査で渋沢らとコネクションができた対馬島民は、水産庁に渋沢を通じて漁港の改築を請願し、1952年には予算を獲得することに成功している。また、離島のインフラ整備の立ち後れを目の当たりにした宮本常一は、1953年に離島振興法の制定を受けて設置された全国離島振興協議会の事務局長を無給でつとめ、島民への「お返し」をおこなっている。また別の論点として調査者と被調査者との関係があげられる。島民は調査に対して概ね協力的であった。というのも、島民が自分たちに「対馬が日本であること」を証明してほしいと願っているからであったという。しかしながら、両者の関係はいつも良好であったわけではなく、ときには敵対的な関係が生じることもあった。たとえば、調査によって悪習が暴露されたことに憤る島民もあらわれたし、また、島の古文書を調査者が返還しないという問題も発生し、その後の古文書の貸出は島民による厳しい「寄り合い」によって協議されることになった。なお、島民の身分に関係なくおこなわれた「寄り合い」に対して、宮本は『忘れられた日本人』の冒頭で「日本の古い文化」を見いだそうとしている。この宮本の眼差しには、先に見た九学会連合の意識と延長線上にあったことがわかるだろう。

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